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あかつき 事件簿

学園長の 身辺報告や雑感を 週刊誌風にまとめたものです

0404今週のスクラップブック

今日は編集する 2011年04月03日09:05
ワタシは喪中ながら、半年前からの約束なので、43名のジジババを引率して、冥土に旅立たせる前の、江戸の名残の花見ツアー

誰が先やら、誰が見送りになるやら

040301.jpg 040302.jpg 040303.jpg

若い連中は、被災地への物資輸送に係わっているので、老人たちは花見ついでに、義援金集めでも、させてみようかと

イイネ!(1) skrk

@絵師2011年04月03日 21:31
寒かったですが、なんとか完歩しました。

打ち上げに、陸前高田に救援物資を運んできた若い連中が合流して、「爆弾が落ちたような現状」を報告してました。

結局、若者の感想としては、
「どうして、高速料金が、とられるのか、わからない」
というのもありましたが、
「遠くにいる我々としてできることは、東北の物資をたくさん食べたり飲んだりすることではないか」
ということでした。

同じ趣旨を、現地の友人が、夕方、電話してきました。

生き延びたとはいえ、住居や仕事場を破壊された被災者の立場にいながら、江戸の入院中の友人の容態やワタシの体重増加を気遣う、彼らのやさしさというか、たくましさに、あらてめて勇気をもらいました(笑)




施設近隣の住民避難なんて編集する 2011年03月29日17:54
「想定外」だったということです。

>東電 避難住民の受け入れゼロ (時事通信社 - 03月29日 15:03)

>平井憲夫氏「原発がどんなものか知ってほしい(全)」

コメント

@skrk2011年03月29日 20:07
東海村の被爆した方々の医療従事者を中心としたドキュメンタリーが昔ありまして
YouTubeにあります。

放射能で心臓以外が昨日を失うんです…

目をそむけちゃいけないなぁ(涙)

敏感になりすぎかもしれませんが…

福島が大きすぎだけで…日本海側の原子炉も止まったり少しトラブルもあったようです…ただ事故にはならなかっただけなんですよね…

福島に関して言えばポンプ等々第一原発はトラブル続きだったんですね昔から
憤ますわ

@絵師2011年03月29日 22:39
福島原発現場の、風向や風力は、まだ計れてないんでしょうかね?

「安全」だと言った以上、「その方針は変えられない」という官僚的思考が、どんどん国民を不安にしてますね。


@skrk2011年03月29日 23:43
> 絵師さん
全くですね(涙)

パチンコなきゃ見れないなら全世帯にパソコン配布してよね

福島県にも病院や役場とパソコンとスカイプ利用して屋内退避の方々と繋がれば少しは心強いですよね…

@絵師2011年03月30日 00:20
ワタシも今回は震災では、ネットにはずいぶん助けられましたが、高齢者には、PCを使えないヒトもいて。

専門家すら、ネットが使えないヒトは、ちょっとした書類手続きの方法すら、小さく誤解してたりしますから、ネットに触れないヒトたちの情報格差は、おおきいです。

被災警戒地域には、「逃げるためのオートバイを、東電は用意すべきだった」という方もいますが、PCを配って、使い方を徹底しておくのも、一つの方法でしたね。

ただ、例によって、「国が安全と認可した」以上、「近隣住民の避難対策や危機管理対策は、想定外」というのが、「官僚が考える安全神話」の正体です。

で、原発反対派には、東電はトイレまで社員を張り付けて、社会的信用の失墜を謀っていたとまで、噂されてます。

これから内部告発も、いろいろでてくるんじゃないかな?

なにはともあれ、今は、冷やして、封じ込めてもらわないと!




ワタシもまだしつこく書きますが、編集する 2011年03月29日13:32 >>「まだ活発」余震警戒呼びかけ (毎日新聞 - 03月28日 20:43)
この警報を、2日前の
3月9日 11:45 三陸沖 震度5弱
の段階に、せめて公共機関にだけでも、出せなかったものだろうか?
というのが、素朴な疑問。

9日の午後から11日の午前までの地震の震央の分布をみていると、素人のワタシでさえ、「ヤバそう」と感じたもの。
>仙台管区気象台「東北地方週間地震概況(3月4日~10日)」
>仙台管区気象台「東北地方週間地震概況(3月11日~17日)」
最近、ジジの急死とかもあって、ワタシの「直感が、当たるから、怖い!」と、周囲で言われはじめてます。

ジジは違いますが、ワタシの悪口を言った連中もまた、確かによく死にますね(苦笑)


コメント

@skrk2011年03月29日 13:51
確かにですね…

本当…映画のように…何処までわかっていてカウントダウンしてるのか…

今直面しているのは人的災害…
本当憤を感じます…


@絵師2011年03月29日 14:18
今回の福島原発事故が代表ですが、高度成熟社会の「人災」は、その社会を動かす官僚システムの隙間で起こります。

この官僚システムの最大の弊害は、「責任は取らない」という点です。

>平井憲夫氏「原発がどんなものか知ってほしい(全)」

太平洋戦争への突入時の御前会議でも、みんなが戦争回避の意志をもちながら、責任を回避する行動で、結局開戦してしまいました。

こうした歴史から、事実を直視しようとしない日本は、何も学んでこなかったのです。

3・11の被災から、何を学ぶべきかを、今、我々は問われてます。

@skrk2011年03月29日 21:55
> 絵師さん
凄い考えさせられます。

私が苦しみを感じて生きていた時にアダルトチルドレンの存在を知り本を読みあさりました

個人ではなく国を個人と考えてみてみても…
結びつきますね…

スピリチュアルな気持ちで見て感じても!
浄化とかカルマとかって所ですね!

原発を許してしまった我々にも責任があることですね(涙)

@絵師2011年03月29日 22:44
こうゆうことを書くと、電力会社の家族に、社会の批判の目が行くのがイヤなんですが。

一部とはいえ、電力会社のエリートたちの母親の姿をいくつか知っているワタシは、その幼稚さとエゴイストぶりに、むかしから強い怒りを覚えていました。

こうしたときに表に出てきて、ボロカスに言われるのは、みな男ですが。
その後には、そうした男たちを育て支えた、母親がいて、妻がいるんです。
日本人は、男の育て方を、特にエリートの育て方を、かなり間違えてきた気がします。


all電化の豪華な保養所で、電力会社の社員の家族が、原発避難民を受け入れる作業を準備しているとは、まだ聞こえてきません。

エリートの権威というのは、「責任を取ること」が源泉です。

今は生き延びることが、使命になっているヒトもいますし、それぞれの都合があるわけで。
仮に息子や夫が犯罪をおかしたからといって、家族がその責任を追う理由はないのですが。


「顔が広いだろうから、復興支援に使ってくださいよ」と、普通の家なら数軒分の資産を、ワタシにポンと投げかけてくださるのは、ラーメンの出前をしている市井のオバサンだったりします


さっき某出版社から、編集する 2011年03月29日00:07
40年前にワタシが書いた歴史の論文を、ある時代をテーマにした論文集に収録したいので「許可してほしい」と、編集責任者から依頼がありました。

ワタシが25歳のときに書いた論文です。

最初に思ったのは、あれから40年、歴史学は進歩してなかったか?ってことです。
ワタシの論文なんか、とっくに踏み台にされて、てっきり、草場の陰に埋もれていると思ってましたから。

学者への道を捨てて、野に彷徨ったワタシですので、脚光を浴びた若いヒトたちからの、今さらの賛辞は、面映いです。

というより、正直言えば、叙述の方法といい、当時としてはまったく例を見ない論文が、
「生まれたときの、25歳の青年の命を込めた<思い>が、チンピラたちに、わかるんかよ」
とも思いましたが。
「勉強させてください」
と出てこられた以上、イヤとはいえませんやね(苦笑)

ひとつの思想の営みが、40年の歳月の後に、世間が認めるということは。
時代が追いついてきたのだから、喜ぶべきことなんでしょうかね(笑)

しかしそれにしても、こうした真空地帯をつくったのは、だれが悪いんですかね?
「時代」を掘り下げて、流れを見据えるという作業をシカトした、NHKの投影同一視妄想の歴史ドラマでしょうかね?
歴史を、自分たちのイデオロギーに奉仕させるようにねじ曲げた、学者センセイたちですかね?

なんであれ、なんか自分が、古い仏像になったような気分(爆)

コメント

@skrk2011年03月29日 00:19
素敵ですね。文才もお有りなんですね!

読んでみたいです、やっぱ伊達政宗ですか?

@絵師2011年03月29日 00:50
いえ、織田氏です。

信長の父親以前の、150年間ぐらい(笑)

応仁の乱をはさんで、社会が混乱した時代で、まとまった資料がないところなので、そのころの時代像を研究するためには、時代の断片をかき集めたワタシの論文を手がかりにするしかない ってだけのことです(苦笑)

しかし40年間、そんな地を這うような面倒なことは、だれもやってこなかったことが、今回良くわかりました(笑)
当時、
「彼が、あれだけのものを書いたんだから、ワタシもと思って調べてみたら、あなたが通ったあとは、草一本残ってなかった」
と、ある真面目なちょっと先輩の若い学者に、冗談まじりに文句いわれたものです。


小説家は、資料の不足を、空想で補えますが。
歴史学者には、それは許されません。

もちろん、断片的な資料をつないで、時代相を描くためには、歴史学者も空想力を使います。

しかしどんな事実も、資料の吟味と裏付けがない事実は、書けないのです。
そこが、どこぞの検察官と違って、難しいともいえますが、その禁欲的な姿勢が、また快感とも言えます。

相手が過去で、反論できないだけに、歴史学者は、冤罪をつくってはいけないんです。

もちろん、大きな冤罪を作って、それで出世した学者は沢山います。

ワタシには、それができなかっただけです。


@rtny2011年03月29日 01:11
いやはあー ご立派な報告拝見致しましたです、史実には私のアンテナ

があー、振りますので、又覗きに参ります。

@絵師2011年03月29日 01:52
ワタシには、文才なんか、ありません。

この論文は、400字詰で50枚ほどで、たまたま発表の場が恵まれたので、研究論文としては長いものですが。
25枚が、本文。25枚が、背景説明という、当時としては、意表をついた叙述でした。

しかしそれは、奇異をてらったわけではなくて、その輻輳した社会の姿を描くために、仕方なくとった方法でした。
みんなが、「このスタイルには、モデルがあるだろう?」と詰め寄ってきましたが、モデルはいません(苦笑)
ワタシが調べて理解した当時の濃尾平野の情勢を、断片を寄せ集めて表現するには、その叙述しか、なかっただけです。


で、中身は、大変地味なので、読んで楽しい話は、まずありません。

事件らしい事件といえば、応仁の乱直前、「地侍」と呼ばれる現地・尾張の2人の荘園管理人が、道で出会い頭に抜刀しあって刃傷沙汰になり、挙句に両者死んでしまったという事件ぐらいです。

この社会不安の背景構造と時代相を、どう説明して、描くか?を、荘園の年貢の仕組みや、寺院の生臭坊主や京都のヘタレ三流貴族の日記とかから、ほりさげて、説明しようとしていたものです。

数千の資料を前に、どうまとめようかと悩んでいた当時、ある晩みた夢では、4つ5つの大きな荘園の、管理人(地侍)や僧兵や地下人(現地の管理人)たちが、三つ巴四つ巴になって、濃尾平野を駆け回っている、西部劇のようなエネルギッシュな姿でした。
荘園制度の軋轢のなかで、他人の荘園のなかを、武器を持って、馬に乗り、火付け狼藉を働く彼らのエネルギーこそが、総体としての「応仁の乱」だったわけで。


その夢以来、一気に筆が進みました(笑)

そしてそうしたなかで、織田氏の祖先は、守護斯波氏の権威を利用して、寺院や荘園に、室町幕府のヘタレ振りを利用して、ジワジワと既成事実を積み上げていきます。

小説や映画では、こうした流れは一気に、個性とか才覚とか美貌とか(笑)で、進んでしまいますが。
実際は数十年単位、数世代単位で、ジワジワと進行していきます。

そこは、農業だけが生産大系である時代と、高度資本主義社会の現代との違いです。

そうした時代の、意思や個性や暴力の意味が描けてないNHK大河ドラマは、ワタシには「絵空事」以上の、国民の意識を「錯誤させる害毒」としか見えなくて、TVは見る気になれません。

これならいっそ、歌舞伎の荒唐無稽の方が、「どうせ全部ウソ」と見えるだけ、楽しいです。


@skrk2011年03月29日 09:54
面白い!

@絵師2011年03月29日 11:13
rtnyさん
お久しぶり。

歴史の「事実」というのは、複雑で。
歴史は、社会の流れと、そこに関わる個人の動きと、最低2つの軸から見ていかないと、いけません。
しかもそこに、それぞれの運動体としてのエネルギやスピードがくわわるので、3次元画像を思い浮かべる必要があります。

「洞察力」という言葉は、その運動体の流れを見据える力なんだと思います。

ワタシの40年前の論文が、今さら日の目を見たのは、政治権力の形成論理をメインに据えながら、その背景にある社会経済の情勢を脚注にまとめて、1本の論文で、2本の論文を、同時に読ませることを強いた叙述方法が、やっと理解される時代になったということでしょう。

当時は、無名の25歳の若造が描いた抽象画のように、ずいぶんと反発され、シカトされましたけど(爆)


そのころから日本の社会は、見かけの知識や技術やイデオロギーといったレアなものに価値が傾いて、そうした「洞察力」には、価値を置いてきませんでした。

しかし「歴史の複眼視」ができないと、現代でも、「地震は一応考えたけど、津波はまったく考えなかった」原発事故みたいに、とんでもない人災につながります。
3・11での膨大な犠牲を支払って、これからの日本は変化できるのか?


先日、ある芸人を囲んだ宴会で、歴史民俗学の若い教授で、超有名な某野球人の伝記を書いているという男に出会いました。

ちょっと前なら、定年退職後のくたびれた新聞記者の小遣い稼ぎ仕事じゃないかと思うのですが。
それが堂々と大学で、講じられる時代になったようです。

いえ、プロ野球を、民俗学的にとらえる現代史の視線は、悪いとは思いません。
歴史民俗学という、金にならない学問が、ヒトに注目されて、生き延びる方法としては、なかなか上手なヨスギだと思います。

ワタシだって、アニメとか、ゴスロリとか、好きですから。

うちの30歳前後の姪っ子2人などは、着ているものや生き方は、ごくごく普通ですが、中身はゴスロリそのものですから(爆)

なんであれ、「描かれる歴史」は、時代とともに変化します。

違う見方が出てきたということは、見ている方の視線が価値観が変化したということです。

「史実」の変化というのは、そうした相対的な変化なのです。
その変化を読み取るのも、これまた「洞察力」です。

ワタシは、若気の至りで、自分が歴史学者として生き延びるための洞察力に不足していて(笑)、チンピラ教授にゴマスリができませんでした。
同僚の上手なゴマスリは、ある官庁の入って、貴重な文化財をカビだらけにして、世間の非難を一身に集めてましたけど(爆)
ワタシは昔から彼とはソリが合いませんでしたが、彼は無責任体制の官僚組織のクジ運が悪かっただけで、世間が言うほど悪人ではありません(笑)

ただゴスロリがつぶやく歴女史観と同じで、水溜まりぐらいしかない底の浅い思考パターンだったことは、確かです(爆)



民間の復興支援にしても、編集する 2011年03月28日23:38
きめ細かな対応は、「やはり顔をつきあわせないと」「イザとなれば、バスか車で、乗り込まないと」と思っていた矢先だけに、「いつでも行ける日程の見通しがついた」ということは、老人にはうれしニュースです。

>東北新幹線 全線再開は4月下旬(毎日新聞 - 03月28日 18:53)

JR東日本は、利用する立場からは、利用者の便利よりも、頑固すぎる応対で、決してスキとは言えない社風を感じていたのですが。

今回の地震でも、新幹線は、知っている限り、死者は出ていないはず。
それで、この復活ですから、頼もしいです。
チャラチャラしないのは、お互い様かな?(爆)

子どものころ、駅裏のうす汚れた国鉄職員の社宅で遊びまわった国鉄一家の友人たちも、かなりの数がお世話になっていて、それぞれのおもしろい個性が生かされたようなので、OKということで(苦笑)


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テーマ:ひとりごとのようなもの - ジャンル:日記

  1. 2011/04/04(月) 00:00:00|
  2. 今週のスクラップ
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元・学園長

Author: 元・学園長


ここを執筆する 元・学園長 ですが、還暦はとうにすぎているのに、最近、江戸 手描き友禅 の修行もはじめました。

ここの絵は、当時小学4年生の男の子が描いてくれた絵です。
下手な写真よりも、はるかに元・学園長の特徴をつかんだ、観察力と表現力なので、今でも大切にしています。

はじめての方は、引越しソバ代わりのおみやげもありますので、下記をご覧ください。
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