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あかつき 事件簿

学園長の 身辺報告や雑感を 週刊誌風にまとめたものです

今週のスクラップブック 01/25

組織の権益を守った官僚は、それが、国民に損害を与えた犯罪でも、国民への責任は問われないのだね。
>ヤミ専従書類改ざん更迭、農水前秘書課長が復帰 (読売新聞 - 01月17日 03:00)
これなら、天下りの禁止ルールなんて、組織内での軽い処分で、見かけごまかして、うまい汁をいくらでも吸えちゃうってことね。

スゴイね。

この腐り方は、骨の髄までいってるね。

海軍が、戦犯の戦争責任を、組織的に隠蔽したみたいなことを、まだやっているんだ。


これは去年のニュースだけど
>年収1000万円以上 隠れ天下りが24人もいた!!(ゲンダイネット - 12月29日 10:01)
今年、独立行政法人の役員公募で、28法人50ポストで、官僚OBが16人就任するとか。

そのうち11人が、現役の再任。

どうやら一般人排除の厳しい要件で、「公募」という隠れ蓑で、天下り黙認の、出来レースらしい。

ここまで白昼堂々の露骨な「役人天国」で、民主党の「天下り根絶」の公約も、ナメラレたもんだわ。


公務員というのは、
普通の国民とは、人種が違うんでしょうか?

親父や親類が高級国家公務員だったので、ワタシがおツキアイする世界は、公務員が多いんですが、どうもワタシは、「非国民」らしくて(苦笑)

悪口を書くのに、公務員は、高級であればあるほど、ネタに困らないということは、「不幸な国の幸福」のひとつなんでしょうか?



  1. 2010/01/25(月) 00:58:40|
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今週のスクラップブック 01/18

ソ連時代の
反体制作家に、ヴァルラーム・チホノヴィチ・シャラーモフ(1907年 - 1982年)という、ソルジェニーツィンと並ぶヒトがいます。

スターリン政権下に政治犯としてコルィマ鉱山の強制収容所(ラーゲリ)で、20年働かされた経歴を持ち、収容所内の出来事を短編形式にしてまとめた作品「コルィマ物語」を1953年-1970年にかけて執筆、生前は発売禁止処分のまま、国外で話題となった作家です。

日本では、『極北コルィマ物語』(朝日新聞社刊、2009年現在絶版)として一部分が出版されています。

このシャラーモフが描く収容所内の、「人間感情のなかでも最後のものである憎しみは、わずかな肉でささえられていた」状況での、人間不信のディスコミニケーション(交感不能)を、作家の辺見庸は、「メディアが、悪疫のようにはびこる現代の本質」とみつめ、現在は「資本による新たなるラーゲリ」と読み解いています。

確かに現代は、マスコミが描く、ポルノのような幻想コミニケーションのなかで、老若男女はさまよっています。

そして辺見は、そのシャラーモフの「極北の孤独」ともいうべき文章について綴ったコラムの最後を、
「骨の髄からしだいにほのかな愛が香ってくる。熱湯のような悦びがわく。」
と結んでいます。
******

辺見は、人間の感性を骨と憎悪だけにすり減らした現代人の「ディスコミニケーション(交感不能)」を、社会を支配する「資本」のせいにしてますが。
現実のリアルな世界では、幼稚な養育者のエゴで、過保護と放棄に振り回された被虐環境が、こうした「ディスコミニケーション(交感不能)」を、子どもに育てます。

ところが周囲には、こうした養育歴をうかがわせる、元エリート老人や主婦を、かなり見かけます。
ごくたまに、「骨の髄から」「香ってくる」「ほのかな愛」がにじみはじめる感性も見かけますが、それはズタボロになってまで生き延びた「同士愛」なのか、せめて「同行二人」の遍路の心なのか。


上で、引用した
辺見庸の
「骨の髄からしだいにほのかな愛が香ってくる。熱湯のような悦びがわく」
との文章に、50歳代の地方農家の主婦から、共感のコメントをもらいました。

彼女は、この文章に、秋元順子が歌う歌謡曲?
>『愛のままで・・・』のワンフレーズ、「糸引くような接吻」を思い出していました。
とのこと。

はて、さて!?
この熟年主婦の官能的反応は、勘違いなのでしょうか?

強制収容所(ラーゲリ)で、政治犯として20年働かされ、生前はその作品を発売禁止のまま亡くなった作家の文章に、現代社会のひずみと閉塞状況を重ねて見る辺見の感想と、地方都市で近郊農業を営み、自分はある習い事の教室を主宰し、ときどきは夫婦で優雅な旅行を楽しみながら、さらに「失楽園」的空想を夢見る農家の主婦の感覚は、どこでシンクロするのかしら?

実はこの主婦の方は、かつて個人的な「失楽園」的な相談に乗ったことがあるので、その思考・行動パターンは、一部は予想がつくのですが。

こうした官能性に閉ざされた感性もまた、本人は気づいてませんし、こちらも深くは追求していませんが、病理的には、ある煉獄がはぐくんだもののようです。
その感性の生成プロセスを警戒しておかないと、こうした感性は、極端な毀誉褒貶を繰り返す場合があるので、介入者は注意が必要です。

****

まあ、なんであれ、ヒトそれぞれ、いろいろな感性があるものです。

****

去年、ある収容児童を虐待していた施設責任者を批判したところ、
そこの卒園者という若い主婦から、
「帰る場所を失ったわれわれの喪失感が、わからないヤツに、なにもいわれたくない!」
と、お叱りをいただきました。

家庭内で虐待された多くの子どもが、親をかばい、親元に戻ることを求めます。
被虐待児がかかえる、養育者への愛憎は、複雑で、なかなか客観性がもてません。
さらにその閉鎖性が、社会的閉塞状況をうんで、いっそう官能性を過剰にさせる例は、多く知られています。

で、なかでも、認知の飛躍性が、特徴とすらいえるくらいです。

DV夫婦が、凄惨な暴行のなかでも、なかなか離婚できない理由にも、これがあるようです。


こうした現象は、
広い意味での、ひとつの自己愛妄想の、パターンなのでしょう。

たとえば日本会議の先生方の、歴史的事実よりも、不合理な陶酔を求める、歌謡曲的思考パターンには、被虐体験がうんだ、解離のなかの、倒錯した、加虐者への同一視を、ワタシは感じてます。
*この事象への抽象化のレベルの段階混乱と意識的操作による、政治心情の結晶化現象自体が、社会病理学的な検証材料なのですが、戦前のテロにおびえた記憶があるのか、商業的利権がからむのか、日本の政治学者はこうしたアブナイ視点をもちたがりません。

で、先を急げば、こうした歌謡曲文化は、解離的共感幻想の結晶化作用とその仕組みに、根差しているともいえます。
そこでは、政治史を自己愛妄想ドラマとして固定化するNHKの歴史大河ドラマや、ナチの収容所が、SMポルノ幻想の舞台として、成立するのに似た論理が働いています。

「正義の戦いであった大東亜戦争は、勝てたかも知れない」と、空想する老若男女のmixiカキコミの、自分が見たいものしか見ない淫らな症状は、現実見当識にズレはないので、認知症とは呼ばれないのです。

確かにヒトは、すべては知りえないわけで、だから想像する力が必要になるのですが。

それが、自分の都合や解離的幻想にだけあわせて組み立てられるのは、「民主党に政権を与えた国民は、ワタシを支持したのだから、ワタシの理屈は『国民の声』である」という、オザワ国家主席やハトポッポの論理建てと同じです。

かつてのコイズミ熱気に狂奔した、マスコミ先導によるポピュリズムというのは、TVの水戸黄門に喝采を送る青年たちのような、こうした支配権力への庶民的投影同一視の、自己愛エネルギーの投影なのでしょう。
そこに結晶化の核として、オザワの「選挙の達人」との豪腕神話が、政権交代を実現させたとしたら。
日本の世論を、お笑い芸人たちと結託して、「社会正義」の旗のもとにリードしていると称するマスコミ・ジャーナリズムの夜郎自大さは、共同幻想という危険な遊びの舞台に、国民を巻き込んでいます。

オザワが言う「民主主義は数である」という信仰は、独裁的権力に正当性をあたえる理屈です。
ナチでさえ、選挙で選ばれた政党だったのですから。


今回のオザワの金権体質的事件は、
ひと昔前なら、特に騒がれるほどの問題でも、なかったかも知れません。
オザワ・ハトヤマの錬金術というか、金銭感覚から見れば、4億円、10億円、という数字は、簡単にひねり出せる小遣い銭程度の認識でしょう。
「パンがないなら、ケーキを食べればよいのに」という彼らが口にする、「国民の命と生活を守る政治」という言葉は、かつてのコイズミの「改革なくして、成長なし!」や、企業のエコ・イメージCMのキャッチコピーや、TVタレントのキャラクター・イメージ並みの抽象化レベルでしか、信頼感がないことは自明のことでしょう(苦笑)

しかしそんなことより、そのオザワ・ハトヤマのジコチュー言動が示す、「日本の政治家とその支持者」の関係が、「権力と庶民との共生体質」にあるとすると、いつの時代も、政治は「まつりごと」なわけで。
聖徳太子の夢殿やヘ平安貴族の寝殿造りに代表される夢占いや、中世の童や巫女の口を通したご宣託や、沈む夕日を弓矢でとめた清盛の伝説や、織田信長の熱田神宮での裏表二枚重ねのコイン占いが、頼られた時代があったわけで。

今回の政権交代も、戦前からの「権力と庶民の共生関係」のなかで、冷戦構造に根をもった自公民政権継続のリスクに愛想をつかせた国民が、今度は、民主党内部のオザワ教(=「政権交代を実現した選挙の神様伝説」)を背景とした、「オザワ流民主主義(ソ連の全体主義的民主主義や戦後左翼の民主集中制=国民は政党を選べるが、そのあとは政権党の独裁に全権を委任するシステム)」に、振り回されてるだけなのです。
それが、民主党内部に自浄能力が現れない、オザワ神話の実態です。

そこでマスコミは、「政治権力 対 検察」の、「国家権力同士の闘い」と図式化したがりますが、しかし検察の狙いは、そこまで奥が深いとは思えません。
実は単純に、岩手・青森・秋田のゼネコンに「天の声」を振るったオザワ事務所に、政治資金規正法を単純に運用しただけで、それがたまたまオザワが「最高実力者」に成長したので、騒ぎになったという状態でしょう。
政治資金を、土地購入にプールする手法などは、いかにも田舎政治家のマネーロンダリングへのこだわりみたいに見えます。

で、そこでまたまた、オカルト教団には、田中真紀子氏のように、アメリカの陰謀妄想が浮かぶのか?

金権政治の体質から見れば、オザワへの追求は、角栄・金丸・竹下時代からの金権政治家の自己愛妄想の、広い意味で「55年体制の終焉」なんでしょう。
そしてそれは同時に、安部・福田・麻生・鳩山と続いた、NHK的歴史権威主義に頼った、実体のないポピュリズム政治の、自公民政権から民主党が継いだ、現代政治史の「負の遺産」の、これもひとつの清算です。

沈みかける日本が疲弊速度を早めるのを喜ぶのは、アメリカも中国も、同じなことは確かです。


で、八方美人の
良い子ブリッコのハトポッポは、
「ワタシは、オザワさんみたいに、苦労してお金貯めたことないのですが、オザワさんの怒りは、わかります」
「でも、指揮権を発動する度胸は、ボクにはありません」
ってことらしい。

これがお金の苦労がない方特有の、「自分ひとりは、身奇麗です」っていう理屈ね。
この超・自己チューな立場こそが、彼の真骨頂だわな(笑)
>首相釈明「検察批判ではない」 (時事通信社 - 01月17日 17:02)

彼がいう「友愛」政治っていうのは、小学生が「みなさん仲良くしましょうよ」といってるレベルと、変わらんってことだw
親が超・金持ちなので、まわりはイジメないだけでしょ。
民主党の小鳩政権というのは、オザワ・オカルト教の信者と、ハトポッポの親の名前とそのポケットマネー目当てに、床屋で政治談議してた素人が、結託連合しただけの集団なわけ?

確かに自公民政権は、ひどかったけど、だからといって、こんな手合いを持ち上げて、
「政権交代は、われわれがさせた!」
といっていたマスコミは、どう責任とるのだろ?

こんなマッチポンプを飯のタネにしているマスコミというのは、いつまで夜郎自大で、いられるのでしょう?




  1. 2010/01/18(月) 00:00:00|
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今週のスクラップブック 01/11

これに似た相談事は
ワタシも良く持ち込まれます。
>■「ギャー…ゴキブリ」“迷惑”110番4万件 読売新聞 - 01月07日 12:27
「快適」が「当然のこと」として求められ、「ちょっとの不便や不自由」は、当然のこととして、「排除」される論理なようです。

これは、若い世代だけではありません。
立派な大人が、平気な顔をして、同じレベルで、いろいろなことを、「満たされて当然の顔」をして、要求してきます。

なぜにワタシに?
と思うのですが、それはワタシが、「やさしい老人」だからのようです(苦笑)
ですから、たまに「やさしくなくなる」と、「ええっ! どうして?」と、驚かれます。

特に教員とか役人とか、自分たち仲間内の論理に馴れ合っているヒトたちに、この傾向が強いです。
ワタシは、人質をとられている下僕であるPTAや、入札業者ではなくて、税金を払っている市民である、「赤の他人」であることを、こうしたタイプの方々には、ときどき思い出させてあげる必要があるようです。

もともと「公」の概念が、希薄な国民性ではあるようですが、この「公私混同」思想から、逆に市民意識もなかなか育たないようです。

一方で、妙にエコ意識とか、ゴミ区分とか、地球の温暖化反対とかに、強迫的なヒトも見かけます。
自分では、「市民意識」といってますが、むしろ社会的自我の未熟さを感じるヒトがいます。


@20台の青年から、コメントがありました。
>同じような感じを、中條高徳さんという人の「おじいちゃん教えてシリーズ」にも書いてありました。
「公」ではなく「個」ばかり強調される日本。
わたしも同感です。
すでに人格が出来上がってしまってる大人はしょうがないとして、成長期にどういう環境に住まわせたら「個偏重」から脱却させられるのでしょうか・・。


@ワタシのコメントです。
プロフィールを拝見したところ、子育て中の方ではないようですので、少しわかりにくいかもですが、逆に子ども世代に近い感覚があれば、子ども側から、見れるかもしれません。

なんであれ、10歳ぐらいまでの、親の指示命令が通りやすい年代までに、子どもは「個」を大切にされる経験はマレです。
日本では、家庭でも、学校でも、「世間」とか、「みんな」とか、「常識」とか、根拠不明の「権威」や「迷信」によって、「個」が押しつぶられることが多いです。
たとえば、教師は、説明のあと、「みなさん、わかりましたか?」と聞きます。
自分の説明で十分と考えている教師に、「わからない」と応えることは、「何が、どこが、わからない! バカめ!」と叱られる不安や恐怖をかんじないで、「わからない!」と言い切ることは、かなり勇気が必要です。
「わからないところは、どこ?」と聞ける教師は、子どもに個性を育てるチャンスを与える教師です。

実はこの幼少期の、「個」の欲求が、さほど大きくない段階で、十分な「個」の主張をさせて、親や周囲との欲求の対立を経験させて、葛藤を通じて、問題解決の方法を経験していない子どもは、「相互の個を大切にする」スタンスにたてません。

小学校低学年段階で、「聞き分けの良い子」は、多くは心が恐怖に凍った疲弊した精神の大人になるか、逆に飲み込まれまいとするワガママな大人になります。
思春期以降、いろいろトラブル子どもは、「良い親たらん」とした大人の、こうした無意識なワガママに振り回された、「小さいときに良い子」が多いです。

こうした子どもは、相手の存在を実感できないまま、大人の処方箋にしたがって「幼稚な良い子」になっていますから、相手の苦痛とかが想像できないわけです。

一方、大人は、親も教師も、自分の処方箋が正しいと信じていますから、それに従う子どもが、個としての体験を喪失しているとは思っていません。
それでいて、自分のワガママは、「わかりましたか?」と生徒に聞く教師のように、ワガママとは思ってもいませんので、マジメでお利巧な親ほど、ひ弱でアホな子が育つことになります。

ニコニコと愛想が良く、アイサツもちゃんとできるのに、多重負債者の青年などは、そうした育ちの典型でしょう。

若い男女でも、根深い人間不信や、押し殺された激しい怒りを抱えているヒトを、良く見かけます。
一見、愛想よく多くの仲間の内を渡りながら、深い孤独に悩んでいる青年も、良くいます。
他人を信じる以前に、自分が信じられないみたいです。

老人でも、日本会議の諸先生のように、科学的事実よりも、自分たちの信念を描いた教科書を子どもに押し付ける学者たちがいますが、あれは信仰というより、未解決のまま残された心の課題を抱えているのでしょう。

特に、そうした思春期・青年期に、葛藤らしい葛藤もないまま過ごしたエリートは、自分の理想を忠実に実現しようとしますから、戦争を考えたり、無駄な税金を使ったり、バブル経済の増進にまい進したりします。

最終処理方法も持たないままに、設計図すら残さないで、原発を作り続ける無責任な現代社会は、そうした空虚な知性の空中楼閣とも、思えます。


@同じ青年から、再度コメントです。
>お返事ありがとうございます!
じっくりと読ませていただきました。
プロフィールでは紛らわしいのですが、私は日本人男性です。

いま思い出したのですが、私が中学生のとき、近所の子供たちの流行語は「権利!権利!」でした。学校では個を押しつぶされ、一方でメディアからは個の大切さを刷り込まれる。。なんか変ですね。

子供時代に十分に個を尊重された子供は、他人の個に対しても同様に尊重できる人物になれる(=公)ということですね。

そうすると、ほんとうに一人一人に合った歩調で教育していくことが望ましいということになりましょうか。

それともまわりの大人が子供に他人の個を大切にすることを教えられるように、子供の個を尊重するようになればいいのでしょうか。(他人の個を大切に出来ない大人がそんなことできるのか)

新しい視点を与えてくださってありがとうございました。
私はどちらかというと自分の理想を忠実に実現しようとしてしまうタイプなのですが、なるべくその気持ちから離れて、考えていきたいと思います。


@これへの返事です。
ワタシの考え方は、子どもの社会性の発達過程を知っているヒトにとっては、特に新しい思想ではないですよ。

むしろ親や、幼稚園や小中学校の先生たちが、子どもたちの社会的認知力について、知らなすぎることが、問題なだけです。

子どもとて、社会から孤立しては生きてないわけで、そのあらゆる体験は、社会性と個の確立のチャンスになりえます。

貴兄の理想が、どのようなものかしりませんが、子どもたちを疲弊させる理想は、絵に描いた餅以上に、始末に悪いことがありますので、気をつけてくださいね

アキバの連続殺傷事件の犯人みたいに、いわゆる「良い子」の犯罪的ワガママは、社会全体の力を脅かす時代にきてますので。


@追伸
ワタシがいっている「子どもの個の尊重」は、子どもの言いなりになって、子どもを甘やかすことではありません。

いつの時代でも、課題を克服すること抜きに、子どもは大人には成長できません。

子どが課題に立ち向かって、「問題(悩み)をもつ権利=問題解決力養成のチャンス」を、阻害することは、子どもの個を尊重してないことになります。

子どもから悩む体験を取り上げることは、人権侵害なんです。


七日の夜に食べた
七草粥のモトです。
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ニワトリになった気分(苦笑)

超・美味しい(^q^)!です。


翌日
昨日の味が忘れられずに売れ残りの七草粥のモトを買いあさってきて、山形名物・食用菊と柚を加えて、豪華な九草粥。
これを、超辛口の茶碗酒とメザシで、食べました。
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心が洗われて、仙人になった気分

ところで、記録に残る日本で一番古い仙人は、7世紀の春の野原で、春草を摘んだまま仙人になったという奈良の主婦です。

このヒトは、空を飛んだのか?、変身したのか?、家出したのか?
詳細はわかりません。

ただ、七草粥という風習は、こうしたテーマパーク的な古代国家のファンタジックなイメージの、名残なのかもしれませんね。


  1. 2010/01/11(月) 00:00:00|
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今週のスクラップブック 01/04

新年早々
ブログ更新、遅れました。 m(__)m

政治ネタも、方向がみえにくくて、いろいろ言ってますが、本質がまだ見えないので、書けません。

権力行使としての政治に、リアリティーが感じられないというのか。

数信仰のオザワ教をスポンサーに、民主党は、一見、口当たりは良いのですが、思いつきの域を出ていない不安が、ぬぐいきれません。

「マニフェストの変更」自体、とやかく言うつもりはありません。
むしろ、政権交代するための「絵に描いたモチ」を、どうリアルなのもにするか過程で、力量が示されるはずなのですが。

衣の下から、オザワのヨロイがマル見えな感じが、なんともさびしいです。



むしろ今は、日本会議系の歴史学者の、意図的とも見える、不勉強というか、はじめに結論ありきの、論文まがいの論説に、曲学阿世の腐った根性を見て、呆れている新年です。

こうした手合いが、知識人の中で、「まじめな学者」顔して、受け入れられていることに、驚いてます。

昨年来、詳しい反論のために、延々とその「封建論」についてノートを作ってましたが、その価値もない論説に、無駄な時間を費やしたかと、ふりまわされてしまった自分に、ガッカリしています。

ああした曲学阿世の最大の罪は、読者に無駄な時間を費やさせることです。

  1. 2010/01/05(火) 00:28:47|
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あけおめ ことよろ ですm(__)m

めでたさも、中ぐらいですが、
年賀状JPG
一応、なんとか年も越えられたので、ご挨拶まで


@2010年元旦の東京自宅からの「初日の出と沈む満月と赤富士」
1378404371_23.jpg 1378404371_78.jpg 1378404371_130.jpg


@以下、 スクラップブック12月28日号ですが、追加コメントがあったので、その補遺と再返事を収録しておきました
貧乏人がヒガンでも
仕方ないのだけど(苦笑)
>■実勢価格で83億円超…巨額の鳩山首相資産 (読売新聞 - 12月26日 03:01)
「友愛」などと、小学生みたいなこといってるボンボンの、道楽に付き合わされるのは、ウンザリだわね。

自民党もひどかったけど、国家主席気取りのオザワといい、結局こうした政治家しか育てられない幼稚な日本っていうところで、結局わが身に振り返ってくるのが、ツライなあ!

政権交代ってことは、結局、こうゆうことなんだ。

これは本質的問題で、時が解決する問題ともは、みえないんだけど。


@若い青年からコメント
>自分は本当に裕福な家庭で育ったもので金銭感覚が…と1時間くらいでしたっけ、
ずっと釈明してるのが本当に素敵だなと思ったんです。笑
お饅頭かせんべいを千円札出してお釣りを貰わずにどこかに行ったというのも。
エレガンスというのはこういうことなんですね。
それを国の本当にとても偉い人がやっていて、
フランスでも18世紀頃こういう話があったような。

やはりなんでも、馬鹿げたことであってもとりあえず経験しないと先に進めないと思うんです。
欧米の真似をしようとしても、論理的に考える基礎がないからやはりおかしなことになって当然で、
日本はむしろどう混乱・転落に突入するか、というのがこれから先の課題だと思いました。


@返事です

監禁王子や整形して逃げ回っていた殺人青年に、若い女の子の人気が集まるように、現実的でないという点で、「素敵」という感覚はわかります。

このリアリティーの欠如こそ、「一億総妄想社会」へ突入しつつある日本の現状なんでしょう。

政治の非現実性という点では、「大量虐殺兵器」を理由に侵略したブッシュも、たいして変わりないです。
しかし「とりあえずの経験」で、殺されていくヒトたちがいるわけで。

官僚内閣制の問題も、要はそうしたエリート官僚の「論理的非現実性」への批判でしょう。


@追加になりますが、同じ青年から、再コメントです

>僕はそういう整形王子とかに熱狂する人の気持ちも分かるんです。
世間とか大人に「これが非常識っていうなら、じゃあ、何が正しいことなの?」って暗に聞いてるんじゃないでしょうか。
学校で殺人や強姦がいけないと教師に教わることはまずないですよね。
それを「そんなの言わなくても分かるだろ、常識だろ?」と村の中の感覚で済ませてきたつけがそろそろ期限が来てるのかもしれません。

柳田國男は狐つきというのは当人だけではなく周囲の人間も同じような状態なのだと言っていたのですが、
これを現代風に言うなら、そういう子供達を育てたのは誰ですか、となります。笑

学校の部活では今でも非効率的な、ド根性だけの特訓が行われていて、
テレビでは美談として語られています。
みんなが呆れる不祥事というのは入門編のようなもので、
むしろ美談の方が見抜くのが難しい上級の悪です。

アメリカの場合はこれが現実だ、これが正義だというから一番怖いんですね。
テロリスト側の論理と同じになってしまう。
現実的とか正義という名の妄想なのかもしれませんね。


@ワタシからの再返事です

常識という妄想ね。
科学という妄想もあります。

だから論理的感情論とかは、可愛い方です(苦笑)

ただ、だからといって、戦争とかを、「誤差の範囲」にくくる計算式は、ワタシにはありません。




飯尾潤の『日本の統治構造 官僚内閣制から議院内閣制へ』(中央公論新書)を、読んでます。

奇妙に自己愛・自己チューな政治家たちを生み出した社会システムとしての背景が、見えてきます。

NHKの大河ドラマみたいな、荒唐無稽な自己愛妄想の政治劇ばかり見せられて育った国民は、「国家と社会」との違いも、わからなくってしまってる状況も、良く見えてきます。

日本型ポピュリズム政治の無邪気さと弊害は、地道に正していくしかないのでしょう。
どこをどうすれば良いのか?

少し考えますが、最近もウンザリする事例に遭遇しました。
怒り心頭なのですが、相手には意味がわかってない(爆)
こんなもんでしょね。


世迷言も、
今年も最後になりました。

みなさん、良いお歳を!
  1. 2010/01/01(金) 00:00:00|
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カウンタ

プロフィール

元・学園長

Author: 元・学園長


ここを執筆する 元・学園長 ですが、還暦はとうにすぎているのに、最近、江戸 手描き友禅 の修行もはじめました。

ここの絵は、当時小学4年生の男の子が描いてくれた絵です。
下手な写真よりも、はるかに元・学園長の特徴をつかんだ、観察力と表現力なので、今でも大切にしています。

はじめての方は、引越しソバ代わりのおみやげもありますので、下記をご覧ください。
引越しのご挨拶

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