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あかつき 事件簿

学園長の 身辺報告や雑感を 週刊誌風にまとめたものです

今週のスクラップブック 03/30

また だそうです
>■女川原発1号機で制御棒誤作動、放射能漏れなし (読売新聞 - 03月23日 18:52)
この前、「事故が続きすぎる」と、知事から注文をつけられたばかりなはず。

『地震と原発』という本が、新潟日報社特別取材班により、講談社から出ています。

原発というと、一般的には、科学や技術の問題として捉えられがちですが、この本は、「原発にかかわる人間たちの、怠慢、保身、無知、厚顔」を浮き彫りにしています。
08年の新聞協会賞を受けた記事を単行本にしたものだそうで、マスゴミの対極にある良い仕事なだけに、宣伝しておきます。

人間が制御する以上、「安全神話」は「ありえない」という前提でないと、こうした誤作動(誤操作?)は、続くはず。

それにしても、続きますね。
またまた社長の、「お詫び」行脚でしょうか。
「事件は現場で起きているんです」
社長が、知事に何回頭をさげても、事態は改善しません。

「組織そのものに欠陥がある」という反省・発想は、官僚体質の電力会社には、ないんでしょうか。
教育行政とか、原発行政とか、ブラック・ボックスになっている組織が、日本は多いですねえ。

ワタシは、外から見てる限りですし、数も多くはないですが、かなり価値観がズレているヒトを、電力会社には良く見かけます。
人間くさいというより、良く言えば「大組織の権威順応主義」で、個人は「何も考えずに、出世だけが命」主義。
普通、優先されるべき価値が、逆転している方に、ときどき驚きます。

で、優秀な人材が集まっているはずなんですが、その実際は、「怠慢、保身、無知、厚顔の巣窟」みたいで、あれでは「事故原因をつかむ」という創造的な仕事は、出来そうもないということは、理解できる気がします。

まあ巨大な組織なので、この程度の事故は「毎度のこと」で、騒ぎ立てるマスコミや原発アレルギーが「悪い」という発想なんでしょうか。
少なくとも、住民や国民の心配は、「関係ない」って顔です。

「組織としての瘴気」を感じます。
もう一度、お払いしてもらった、良いかも。

こうした電力会社の
体質を、「体制順応・出世主義」と書きましたが、実際は「上にはオベッカ・下にはイバル」で、「下請け泣かせ」は、かなりの憎悪を生んでます。

東北を支配した小沢事務所秘書団の「強圧的お代官様政治」が、今、いろいろなところで浮き彫りになってますが、田舎都市の最大手組織である市役所と電力は、まさにそうした体質の、教科書みたいな世界です。

たとえば市役所は、一旦、組織ぐるみで支援となると、現職市役所幹部が、市長候補を囲んで繁華街をパレード(前市長の最初の選挙)するといった、強烈な公私混同をやってのけました。
今回、副市長たちの造反を受けた梅原現市長の公私混同などは、マンガ的すぎて、目だっただけにすぎません。
しかも、ここまでして現役市長の汚職逮捕から再出発した仙台市は、次の市長候補の市役所幹部は、大学補助金をめぐる汚職疑惑で、立候補を断念せざるえませんでした。
市役所の独裁・密室体質が問題だとは、この街では、あまり考えられないみたい。

一方、電力会社は、市役所と違って、表だった選挙支援はなかっただけに、一層、「外からは見えない支配」は陰湿に、日常化しているようです。
そこで何がおきているかは、偶然、個人的に知りえた若手重役の奥様からの情報から推測するだけでも、すごいものがあります。

たまたま聞こえてきた話は、ワシトンDCでのダウンタウンでの格差復讐劇みたいで、重役夫人が身の危険を感じて、「もう社宅にはいられない」と逃げ出すほどでした。

さてこう見てくると、地方分権構想が進まないといわれていますが、果たして、こうした戦前の「地主・小作」関係のような、封建的「精神的格差」がはびこる「田舎社会」で、まともな草の根民主主義が、育つものでしょうか?
正直、特権身分の「公務員」が握る「地方」への権力移譲で、何がおきるのかが、心配なのです。
小粒な、小沢軍団が、次々と生まれるだけでないかしら?

かつて
戦前の5・15や2・26事件の理論的背景のひとつに、権藤成卿(ごんどうせいきょう)に代表される、農本主義をベースとした社稷国家論による、「君民共治」の「国体」論があります。
たとえば彼は、「自然而治(しぜんじち)」という民衆の多様な自治を基礎とした、「社稷(しゃしょく)」という共同体国家を想定して、その複数の共同体を祭祀で束ねるのが「天皇」の機能と考えました。
しかも彼は、この思想の徹底のなかで、職業軍人=官僚による「世直し」には反対で、ために彼の著作は発禁処分になっているほどです。

何が言いたいかというと、権藤の時代は熊やタヌキが跋扈していた山野が、今では県知事主導の大型郊外店舗が占めて、街中の商店街は疲弊しています。
これを現県知事は、「富県政策」と呼んで自画自賛してますが、妻子が買い物に喜んでいる間に、旦那のお店がやせ衰える事態が起きてます。

権藤が夢みた、多様な「自然而治(しぜんじち)」というのは、今から見れば「土地にあった農作物の差異」ぐらいで、それですら、そのよりどころを、われわれは見失っているのです。
中国の毒入りギョーザ事件の舞台は、大都会ではなく、地方都市スーパーや生協です。

グローバル経済に反発する思想を、「ネット社会では、右翼と呼ぶ」と、すごい話がありました(苦笑)

「右翼」の定義はともかく、政治判断以前の、「モラルを失った組織」というのは、普通は「ヤクザ」と呼ぶんじゃないですかねえ。

お金持ちを自認している麻生氏でさえ、「田舎では、株屋はウサン臭い」とかって、田舎者丸出し発言してましたね(笑)

なにはともあれ、指の隙間から砂がこぼれるように、続発する原発事故に、幹部の首が飛んだとすら聞こえない組織というのは、不思議な世界です。

24日
原子力委員会が、「社会の期待に充分応えてない」との08年版白書を、閣議に提出したそうです。

で、日本原子力研究開発機構の組織や技術の整備を、提言したとか。

素人には見えないのですが、電力会社と、開発機構とは、どうした関係なんでしょうか?
開発機構が基本設計して、運営責任は電力会社なのですか?

再処理工場についても白書は、「今後もさまざまな故障、トラブルが予想される」としてますけど、、、、。
で、原子力開発機構の「組織や技術の整備」ができたとして、現場の電力会社は、これに応えられる組織なのかしら?

検察も奇妙です
漆間官房副長官は、安部前総理の置き土産だそうで、高級官僚内部での、与党側vs民主党側の抗争が進行しているのですかね?
「官僚内閣制」が維持しやすい自公与党政権vs未知数の民主・野党 という構図でしょうか?

*さっきTVで聞いた話だと、今回の小沢秘書告発の検察の中心人物は、最近岩手から転勤したばかりだそうです。
27日、岩手県庁は、2002年度以降の国庫補助金の不正経理で、知事部局や県教育委などで、516名の処分を発表、OBも含めて5千万円からの、損害補填の「返納」があるそうです。
これと、小沢問題は、何か関係があるんでしょうかね?

それにしても、自分がイジメられてみて、「泣き落とし」策に出た小沢の「辣腕神話」は、単に「イジメッ子」だけだった印象を受けちゃいました。
「お腹が痛い」って首相をやめた世襲政治家がいましたけど、首相になる前から「涙」では、小学校の学級委員の選挙みたいですね。
少なくとも、田舎でゼネンコに威張っていた秘書団は、小沢本人には法律的な責任がないとしても、「虎がイバッって」いたから、「威を借りてた」んだろうと、ワタシには見えてきます。

まあ小学校の学級委員とちがって政治ですから、態度が良いとか悪いとかは、話は別として、「田中真紀子氏の男性版」といわれる世襲政治家の小沢一郎という政治家が、ゴチョゴチョいうだけではなくて、本当に政治家として「やりたいこと」があるのかが、知りたいです。
田中角栄の「列島改造論」の、焼き直しという解説もありますけど。

民主の若手議員は、「行政改革のために、小沢の辣腕が必要」といってますが、しかしそれにしても、「政権交代に命をかけたい」「やらせてくれ」は、本人の勝手な言い分と都合です。
スピード違反なみの、自分の脇の甘さを言あげされたからといって、それを国民に「涙を見せて、助けて」というのは、まるでTVタレントのスキャンダルなみで、ムシが良いどころか、国民をナメているでしょ。

百歩譲って、3億円とも20億円とも言われる献金を、何に使ったのかも説明しないとなると、無責任にワタリ歩いて、5億円からの退職金を稼ぐ特権階級の高級官僚と、どこが違うんでしょうか?
「人件費」という説明もありましたが、まさか中国への大名行列の、工作費ですかね?

で、結局、小沢事件は、占領下での「嫉妬と劣等感」抗争の政治家の、ミカジメ料徴収体質が、また一つ浮き彫りなっただけの、茶番劇にみえてくるんですが。
これがこのまま、「オレも悪いけど、お前も悪い」で、「痛みわけ」で曖昧になってしまうんであれば、「官僚内閣制」は、また数年、改革の芽がありませんね。

小沢本人は、「地位には固執しない」というなら、代表を辞めて、ブレーンになれば良いはず。
野党党首の今でさえ、「辣腕」を恐れられ、これだけの献金を受ける立場なんだから、「自分から退いて」、世代交代後の「官僚内閣制」打倒の国民運動でも組織した方が、政治家としては影響力が大きくなると思うのですが、

それをすると、逮捕が怖いのかな?
仮に逮捕されても、せいぜい罰金刑レベルの形式犯みたいだし、「闇将軍」は師子相伝のお家芸で、政治活動そのものはできるだろうし、勢いも盛り上がると思うけどな。

あの顔で、いまさら良い子ブリッコでも、ないだろうし。
せっかくのラスト・チャンスというなら、辣腕なら辣腕らしく、「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあり」で、いっそ自分から、「地獄とやらに」落ちてみたらよいのにね♪

だれが首相になっても、当分、シャッフルはつづくんじゃないかな。

それにしても、体罰を無くす気がない
ってこと、でしょ?
暴力で脅す子ども支配が、「小国民教育体制」ってことです。

><福岡市教育委員会>2教諭に減給処分。厳重注意では体罰くり返し毎日新聞 2009年03月26日04:01

*****

(このニュースは、PCでは読めないため、ニュースの大意)
体罰3教諭のうち2教諭(55歳と51歳)は、過去にも体罰を繰り返しながら、「厳重注意にとどまっていた」ので、今回、「減給などの懲戒処分にした」そうです。

*****

ヨーロッパの先進諸国が、死刑を廃止したのは、「厳罰による犯罪防止は、近代国家としての理念に欠ける」という理由からです。

体罰による教育は、少なくとも、教育理念の放棄です。
現実的にも、教育技法として、知恵が無さすぎます。

まして、無抵抗な子どもに暴行を繰り返してきた55歳の理科教師とと51歳の数学教師は、こうゆう教師はワタシが子どもだったころにもいましたが、子どものワタシが見ても、精神的治療を受けさせるべきレベルにいます。
こうした教員たちを、「仲間意識」でかばうことは、身分としての「公務員制度」の欠陥です。

公務員問題ですが、
若林亜紀氏の『公務員の異常な世界ー給料・手当・官舎・休暇ー』(幻冬舎新書079)を読みました。

若林氏は、建設会社勤務後、厚生労働省の外郭団体「特殊法人日本労働研究機構」に10年勤務した後、今は公務員問題をフィールドとした40代の女性フリージャーナリストです。

「厚遇されている閑職・公務員」も問題ですが、「3月のムダな予算消化」を止めるだけで、「消費税4%分=8兆円の増税が免れる」のだから、「増税の前に、行革を」という、彼女の主張には説得力があります。

今年の予算は、88兆5千億円だそうですが、きちんとした使い方ができるのか?
それ以前に、「使いきれる」のかしら?
「ムダの排除」を、どこまで国民は監視できるのか?
*来年3月の、公務員の海外視察件数や、施設装備の発注データの公表を、今から全省庁に課してほしいです。
それだけでも、お役人には、ストレスになるでしょうから。

で、外野にはわかりにくい公務員世界の、彼女の内部告発的レポートは、淡々とした語り口で、もはや「一部」とはいえない「異常な世界」を、次々と描き出してきます。

一方、これは彼女はこの本では言ってませんが、国税庁の発表でも、年収200万円以下の給与生活者が1千万人を超えています。
これは、格差どころか、「絶対的貧困」層の誕生で、子どもを育てるどころか、結婚もできない若者層の固定化は、資本主義国家そのものの再生を揺るがそうとしています。

彼女の計算だと、国内総生産(GNP)500兆円のうち200兆円が、お役所が召し上げているのだとか。
こうなると、再分配をとどこおらせて、「絶対的貧困層」を生み出している「元凶は、公務員」ということになりますけど。

この本を読むまでは、うすうすは感じていましたが、「1日の実働が2時間半のみどりのおばさんの年収が800万円・公共バスの運転手に1300万円払う自治体がある」と読むと、もはや自治体は、立派な「貴族身分」「格差推進体」に見えてきます。

国債残高600兆円(国民一人当たり約600万円)は、だれが作ったのか?

ここでも、また公務員とマスゴミの、「怠慢、保身、無知、厚顔・無責任」が浮き彫りになってきます。

泣き落としで、
小沢氏が政権を取ろうが取るまいが、何人首相が変わってマスゴミがお祭りしようと、そんなことは国民にとってはどうでも良いことです。

今、政治家がやらなければいけないことは、「公務員モラルの正常化(改革とかいう偉そうなことではなくて、正常化です)」でしょう。

その改革が、「無愛想な小沢」の「辣腕神話」だけが頼りというのは、やはり頼りないです。
国会議員がこれでは、「粘り」を見せてくれた「侍ジャパン」なみの闘いを、われわれもしないといけませんね。

要するに、年収200万円以下の1千万人が、公務員なみの「閑職・厚遇」になれば、文句ないでしょうから(苦笑)
ただし原資があるかどうか、ですけどね。
1000万人が、みどりのオバサン並の所得を得るとなると、必要な額は80兆円ですか?

ワタシの友人は、
小さな田舎自治体の首長選挙に、財政改革を訴えて2度出馬しましたが、田舎新聞のボケたふりをした意図的な「職員切り」の印象記事(彼は「定年退職後の欠員補充はしない」といっただけでした)で、2回とも僅差で落選しました。
本人の妥協をしない、単刀直入な性格も災いしましたが、あれからすでに6年たって、その街は、もうすぐ夕張なみになるはず。
ここまでくると、実際、もはやだれがやっても、「やることはひとつ」になりつつあるようです。

*内部職員から聞こえてくる噂では、今の首長は、既得権の主張との「対決」がまったくできないみたいで、ズルズルといいなりだそうです。
今の首長も、この前まで、公務員だったものね。

ふりかえるとこの街は、「退職金が欲しい」となりふりかまわず口にして、3期までしがみついていた職員あがりの前市長といい、公務員に食い物にされた街なんですわ。

先日の朝
筋ジスで寝たきりになっている友人の奥さんから 電話があって、「気が弱くなっている」とのSOSがあり、制作途中の作品をかき集めて、冷たい風が吹きすさぶ中、見舞いにいってきました。

顔色も良く、目もキラキラして、奥さんも喜んでくれました。

のぞきに来た若い看護師のお姉さんも、
「お友達が来て、うれしそうですねえ。笑顔が、かわいい」
と笑ってましたが、途中で現れた親類のオバサンの、トンチンカンな場違い発言も、うれしい雑音で、まるで田舎の家にいて、みんなでワイワイやっているような、昔の大家族を思い出してしまいました。

車椅子ができたら「みんなで温泉行こうか」と、言ってきましたが、医療というのは、物理的治療だけでは、クライエントの元気は、保てないんですよね。

相手は人工呼吸器なんで、意思が簡単に表明できず、実は結構疲れました。

ヒトはどうせ、遅かれ早かれ死ぬのですが、来年、この笑顔が見れないかもと思うと、心が痛みます。

さいわい主治医は、初めて会った見舞い客のワタシにまで、今後の治療予定を説明してくれて、おおむねの状況は理解できました。

脳挫傷の友人の主治医である、友人の医学部教授より、はるかに好感が持てる治療姿勢でした(苦笑)

28日のNHKスペシャルの
「私の声が聞こえますか~植物状態からの帰還~」ですが、脳挫傷でリハビリ生活している友人がいるので、見いってしまいました。

前のリハビリについての特集番組でも感じたのですが、問題は、こうした「手厚い恵まれた治療チャンス」が、だれでもは恵まれないことです。

脳挫傷の友人も、この分野では長い経験がある医学部教授から、電極埋め込みの話があったのですが、家族と医師との信頼関係が築けませんでした。
*笑話ですが、前に治療方針を決めるときにもあったことでして、患者家族の立場を代弁するワタシを抜きに、ウツ病家族を説得できると考えた、いつも教授の権威で仕事をしてきた教授の間違いなのです。
患者も教授も、応援する地方の小ボスも、ワタシも、みな高校の同級生ですが、「判断が間違ったとしても、実際介護する家族の事情と都合を支持しなければ、患者は守れない」というのは、なぜかワタシだけなんです(苦笑)

で、「良かれ」と思って医者が提案したことでも、家族の不安を克服できない治療は、歴史的にも実現していません。
まして、信頼関係が築けないとなると、話は進みません。

それとは別に、特集にあった、茨城県の病院での「看護師を中心に患者に様々な姿勢をとらせたり、味覚や聴覚など全身の感覚を刺激したりすることで状態を改善する取り組み」は、家族に与える安心感の上からも、普及してほしいものです。
実際ワタシも、たまに友人の見舞いに出かけて、酒好きだった脳挫傷の友人の唇に、ウィスキーを塗ってやるだけでも、こうした介護の有効性を感じていますから(爆)

たまたま最近、アメリカの女性脳科学者ジル・ボルト・テイラー氏の『奇跡の脳』という本を見つけました。
まだ全部読んでませんが、彼女は、37歳で脳卒中にかかり、「脳卒中の恩恵で」、「左脳が血でおぼれ、判断力の支配から解放され、幸福な恍惚状態、涅槃の境地に達した」というのです。
で、8年間のリハビリで、完全に復帰したそうですが、ここでも、「介護者」の役目が、大きかったようです。

認知症の介護でも、最近は患者の人格を守ることが、良い状況をうんでいると言われ始めてます。
高度なリハビリ治療は、人件費が問題になりますが、考え方、取り組み方の違いだけでも、大きく結末がちがっているようです。
入院中に、「お宅のバアさん、ボケちゃってさあ」と、医者にいわれて死んでいった母親は、かれこれひとむかし前になりつつあります。
100万都市とはいえ、市街地は狭く、今でもその医者は、街で見かけることがありますが、ワタシは顔は見ても、会釈はしません。

実は、脳挫傷の友人の電極治療の話のとき、家族から、「本人の人格が変わって、暴力的になったら、困る」と言われました。
やはり介護は、迷信もふくめて、「家族の日常」なのです。

世の中、「説明責任」や「説明不足」がいろいろ言われてますが、やってもらわないと、医者も検察も政治家も、仕事ができなくなりますね。


  1. 2009/03/30(月) 00:00:00|
  2. 今週のスクラップ
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今週のスクラップ・ブック 03/22

すごい二次災害ですね
>■上海修学旅行列車事故、21年たち報告書…遺族と高校紛糾 (読売新聞 - 03月16日 00:56)
お悔やみ申しあげます。

それにしても、どうして、こうした事態が、起きるんでしょうか?

PTAについて面白い論文を見つけました
かなり前の、国立歴史民族博物館の研究誌(06年3月号)に、面白い論文が載っていたことを、最近、知りました。
筆者は民族学者で学齢期の子どもを持つ母でもある岩竹美加子氏で、題名は「国家の装置としてのPTA」です。

趣旨は、今のPTAは国家が扱いやすい「国民」の生産装置として機能しているのではないかという懸念です。
根拠は、今のPTAが、ほとんどの場で、主体性がなく、学校、教育委員会、自治体、警察、地域などで組織される事業や会議に、従属的に組み込まれているからだと、岩竹氏は考えてます。
で、結局、会員は、PTAに入るだけで、受身の役割に投げ込まれ、慣らされていくというのです。
たとえば、効果に確信がないまま、自治体・警察の支援をうけて続けるPTAパトロールは、「目的や意味はよくわからず、強制する力がなければしないだろうことを逆らわずにする訓練」「人がどうゆう態度で、強制されている行為をしているか学ぶ機会」になっていると、岩竹氏は指摘します。
さらに最近いわれる「地域の連携」にしても、リベラルな市民を敵視し、「道徳的共同体としての地域の靭帯強化」を目指しているとして、英語圏での共同体主義が、自立した個人を前提としているのに対して、日本型の地域主義はでは共同体側に大きく振れて、その「行き過ぎた個人主義に対する嫌悪を示す地域の再構築を目指す言説は、従順な「国民」生産の装置になりうるとします。
で、彼女の結論は、「PTAに関り続ける保護者に力を与えられるような結びにしたいのだがむずかしい」とし、「枠組みの中での変革は微小なものにとどまり、結果的に現状維持につながる。むしろ、PTAという制度そのものに穴を開けて、揺るがすべき」だと書いてます。

*********
以下、ワタシの「偉らそうな私見」です。

うちの息子はおおむかし学齢期を卒業してますから、今のわたしの経験では、むしろ講演に呼ばれる立場からの観察ですが、それでもまったくこの論文は、当てはまります。

最近、ワタシが警戒している「見えない国家主義」の、「草の根部分」のひとつともいえる指摘です。
今までこうした指摘や疑問が出てこなかったこと自体、ワタシには不思議なくらいで、実際、PTAの役員に選ばれるヒトは、KYなリベラル派ではない、体制順応派が、教師側のリードで、選ばれているはずです。
そして多くの親は、子どもを人質にとられている弱みから、こうした体制に順応していきます。
極端な例では、学級崩壊や破廉恥罪で休職に追い込まれた教師の、復職嘆願書への署名まで、PTAの役割にされている例を、いくつも知ってます。

最近、経験したPTA主催の「家庭教育」をテーマにした講演会に講師として呼ばれて、メイン講師の教員養成大学の副学長が、「自分が人事権を握っている」と終始威張り続けていたことなどは、こうした世界の人権侵害が、常習化している体質を、よく示しています。

ほかに例を挙げろといわれたら、うんざりするほど、たくさんあります。
警察庁が、7名編成で全国111箇所に展開を計画している、教育委員会と連携した不審者情報システムなどは、ひょっとしてこの論文への回答なのかしら?

イジメや不登校の問題にしても、こうした暴力装置としての「従順な国民生産システム」を背景とする、子ども世界での阻害と矛盾ととらえることすら可能です。

こうしたPTAの体質は、近代日本の国民教育の体質問題でもあるのです。

極端なモンスター・ペアレントをひきあいに、強制力行使の理由にするのは、かつての冷戦時代のイデオロギー論争と同じ手法です。

風穴の開け方は、意思さえあれば、いろいろあると思いますが、「最大の抵抗勢力は、だれか?」ということとも、関係してきます。

PTA活動が、食育でもエコ教育でも家庭内コミュニケーションでも、いくらでもテーマがあるはずなのに、なぜ中身が希薄なのか?
理由は、岩竹氏が直感する、活動目的が、「目的や意味はよくわからず、強制する力がなければしないだろうことを逆らわずにする訓練」にあるからなんでしょう。

これこそが、ワタシのいう「空虚な国家主義」の正体です。

これを
mixiにカイコしたら、マイミクから、「なぜ雷同するのか、不思議な感じ」だったので、「周りの人々にも紹介してゆきたい」というコメントをもらいました。

そこで、以下、老人特有の蛇足を追加しました。
********
ワタシも新鮮でした。
しかも若いお母さんの日常生活感覚と、文化人類学の方法論が融合している点で、期待したい方です。

老人から見れば、まだ未熟な点もありますが、ワタシも応援したい学者です。

*ヒトが自立できない理由は、不安にあります。
不安を受け止められないために、簡単に安心できるイデオロギーに身をゆだねるのです。
イデオロギーといっても、特に難しい哲学ではありません。

アメリカ経済の現状分析ですら、ダメになるという立場でも、回復するという立場からでも、どちら側からでも、世の経済評論家たちは、不安なくきれいに説明して見せてくれます。
しかしリアルな現実としては、「どう転ぶか、わからない」が、「正解」なはずです。

つまり現実の複雑でリアルな変化に耐えられない精神が、イデオロギーに頼ります。

少し極端な例ですが、子ども時代の被虐待を生き延びたヒトたちを、「サバイバー」とか、さらには仲間うちでは、「偉大な人」とすら呼ぶ呼び方があります。
「失なわれた自己の不安に耐えながら、生き延びて、自分を見つけた人」という意味のようです。

児童性的虐待など長期反復的トラウマ体験による心的外傷後ストレス障害を、「複雑性心的外傷後ストレス障害(Complex post-traumatic stress disorder=C-PTSD)」とよびますが、その主な症状は、長期間にわたる、感情調整の障害、解離症状、身体愁訴、無力感、恥、絶望、希望のなさ、永久に傷を受けたという感じ、自己破壊的および衝動的行動、これまで持ち続けてきた信念の喪失、敵意、社会的引きこもり、常に脅迫され続けているという感じ、他者との関係の障害、その人の以前の人格状態からの変化などが、代表的な症状ですが、そのもっとも根源的で主観的な症状は、「絶え間ない深刻な不安」です。
ヒトによっては、歩いている最中に、足元の道が震えて、足が出なくなるヒトまでいます。

それはともかく、岩竹氏がいうように、英語圏社会が、すべて「自立した個人」によって構成されているわけではありません。
英語圏にもファシストも、ネトウヨ(ネット右翼)やネトサヨ(ネット左翼)も、ウヨウヨいます。
数週間前にも書きましたが、アメリカはキリスト教原理主義が政権をおおいましたし、ハリウッド映画でもうかがえるように、悪魔の存在も広く信じられているから、大統領が演説で、「悪の枢軸国」とか言い出したりするのです。
アフガン侵攻の際、アメリカの政府高官は、アフガニスタンの場所も知らなかったとまで、いわれてます。

ただ少なくとも、大学生レベルの精神的傾向で切り取れば、日本人が「周囲に埋没したがる傾向」があるのに対して、社会的価値観として自立を強いられる彼らが、「個の確立」を「意識しようとしている」ことは、確かです。
結果として、片や「引きこもり」、片や「ヤング・ホームレス」としての現象とかを、生んでます。

なにはともあれ、若いお母さんたちのなかに、集団思考に違和感を覚える、自分で考える志向パターンが現れてきたことは、日本の社会科学も、やっと等身大のモノサシになって、身についてきたかなあと、ワタシも喜んでいます。

この「追伸」
アメリカでキリスト教原理主義がひろがっていたことは確かなのですが、誤解があるといけないので、補足します。

たとえば、宗教社会学者のロバート・ベラーは、アメリカを成り立たせている国家原理を「市民宗教(civil religion)」と規定しています。
たとえば大統領演説では、神(God)は使いますが、ユダヤ今日を排除してしまうキリスト(Christ)は、めったに出てきません。
ですから「白人中間層」をまとめる「市民宗教」は、特定宗派にとらわれないプロエスタントとリベラルなユダヤ教をさし、キリストに特別な神性は認めずに、「イエスは偉大な人間だった」とするユニテリアンが、中核になっているといいます。
岩竹氏はイメージしている、英語圏における「個」を基盤とした「共同体参加」は、こうした「白人中間層」の社会参加なのかも知れません。

しかし、「アメリカ合衆国という国家においてわれわれは一つである」と主張する黒人系のオバマ氏の当選で、アメリカがどう変わるかですが。
個性も、実務的調整能力にたけているとされるオバマ氏ですので、社会的対立を、国家主義的イデオロギーで超克することは、やるのではないでしょうか。
そこに国家主義的なファシズムに傾斜する気配を感じるヒトは、多いと思います。
麻生首相の訪米といい、ヒラリーのニコニコ訪日といい、「おだてれば言いなりになる地方政治家」あつかいの日本の政治家ですから、一見、遠い存在に見えるアメリカの流れ次第で、日本のPTAも流れが変わるのかなあ、とか思ったりしてます。

さらなる蛇足
岩竹論文に触発されて、いろいろなことが頭に浮かぶので、ついでにとりとめもなく書きとめておきます。

その1

まず、岩竹氏が指摘する、
「目的や意味はよくわからず、強制する力がなければしないだろうことを逆らわずにする訓練」
「人がどうゆう態度で、強制されている行為をしているか学ぶ機会」
というのは、実際、田舎では良く体験します。

ワタシが体験した、PTA主催の「家庭教育」をテーマとする講演会で、延々と関係ない自慢話をして平気な顔をしていた教員養成大学の副学長ですが、彼は実はワタシの高校同期でして、中学の現場教員を振り出しに、教育委員会を経由して、副学長になったようです。

で、彼がその講演で体現化した場は、まさに「目的や意味はよくわからず、強制する力がなければしないだろうことを逆らわずにする訓練」
だったわけで、話の中にも、明日運動会だという後輩教師を、「人事権があるんだぞ」といって、夜中に酒飲みに呼び出したエピソードが、うれしそうに語られていました。

この話からお母さんたちは、何を学ぶでしょうか?

「どんな意味のないことでも、黙ってしたがっていれば、出世できる」っていう教訓ですか。
「組織の序列は、絶対だ」ということですか。
「人事権者を前に、排除されたら、オシマイだ」ということですか。

最前列に座っていた教員養成大学の学生らしい、神経症的顔をした現役学生は、副学長の話をノートにとってましたが、なにをノートしてたんだろ?
ノートの中身次第で、採用が決まるのかしら?

*なお、民主党小沢事務所に献金し続けた、田舎の下請け業者も、似たような「排除されないための献金」といったことを言ってましたね。
小沢事務所の集金力と恫喝政治は、こうした業界が背景にあるんでしょうか。
一部の大物民主党国会議員と教員組織の癒着が噂になってますが、体質として、親和性があるんでしょうかね。

ところで教員集団が、序列にこだわることは、いくつも驚く体験をしています。
しかもたまたまうちの親父は、教員養成大学の創立期の教員でして、その意味では、県内の小中高の教員は、ほとんど親父の生徒でした。

ですから、中でもよく家に出入りした中核をしめるエリート(=弟子)たちは、「村では、宴会では、いつも村長の隣なんだ」と、誇らしげに言う若い教師などの話は、こどものころから良く耳にしていました。

で、我が家のお袋の葬式で、「席次の序列がおかしい」と文句言ってきたのは、教員出身の教育委員会上がりでした。
ワタシの価値観では、お袋が親しかったヒトに、そばで送ってほしかったんですが、それがお気に召さなかったようです。
お袋の生前は、若いときから散々お袋のお世話になりながら、その死の直前は、ワイワイと集団でお袋の逆鱗に触れるようなことをしでかして、お袋の死期を早め、その上で自分たちの都合で、三々五々やってきて、「葬式の席次にケチをつける神経」は、ワタシにはわかりません。
*だから親父の葬儀では、彼らは十把ひっとからげで、一般参列席においやりましたけど(爆)

まあ、こうした体験は、当然ながら一度や二度ではなく、また耳に入る噂にいたっては、教育長あがりの前市長までが、「あいつらの傲慢さは、ケシカラン」とワタシに憤慨する始末で、「先輩である、あなたの問題でしょ」と、ワタシも笑うしかない状態でした。

蛇足 その2
で、何が問題なのかというと、無神経な田舎者の価値観が、「意味のない支配に従い、従わせる」という組織論一点に、凝り固まっていることではないかと、思うわけです。

最近、忘れられた大分の教育委員会汚職事件でも、もともとは学閥内での「お友だち」の輪から始まって、長年にわたる縁故採用と仲間内相互の情実出世に、たまたま金がからんだために、表沙汰になったということでしょ。
通底する基本論理は、「仲間から排除されない」「内輪意識」「中身のない支配と服従」というのが、こうした世界での「出世・勝ち組教員」の出世の論理なのではないでしょうか。
*もちろん、これが教員世界のすべてだとは、いってません。
そうでない教員の友人は、たくさんいますから。

要するに、岩竹氏が指摘する、
「目的や意味はよくわからず、強制する力がなければしないだろうことを逆らわずにする訓練」
というのは、こうしたタイプの教員にとっては、成功した人生訓の最初にして最後なんでしょう。
だから中学校のPTA主催の「家庭教育」の基底講演で、彼はそのことを、わが身を振り返って、堂々と誇りをもって主張したわけです。

講演のテーマがズレていると思ったワタシやPTAの親は、こうした世界からは、価値観が違う「部外者」なんですね。
実際、休憩中、同席していた校長や教頭やPTA会長は、人事異動についての冗談は口にしてましたが、副学長の話の中身については、まったく顔色ひとつかわらない自然な受け止めで、後で親たちが、「本当は、先生(=ワタシ)のお話が、もっと聞きたかった」とささやいてきたのとは、対照的でした。

何はともあれ、岩竹氏が指摘する「目的や意味はよくわからず、強制する力がなければしないだろうことを逆らわずにする訓練」というのは、かなり広い範囲の学校教育現場での、中核的体質ではないかと思うわけです。

ですからここから、「排除の論理」はうまれても、創造性や人権意識というのは、育ちにくいだろうと思います。

学校でおきたイジメ事件の裁判でも、教員の証言は、あくまでの「立場の擁護」であって、事実は「なっかた」に終始している例が多いようです。

こうしたもはやオカルトじみた「組織の物神化」に、どう風穴をあけるかですが、最近、たびかさなる不祥事の責任をとって、福島県の教育長が辞任したように、内部からの自浄はかなり難しそう。

この組織唯神論は、戦前からの国家主義の流れなのか、断絶している別なものなのか。
毎年3万人近い不登校や、さらに100万人とも言われる引きこもりの生産母体として、教員の意識改革は、急務なはずです。
その意味では、PTAの役目は、大きいともいえます。

*うまくPTAが機能している例は、たまに聞くことがありますが、多くはないですね。

蛇足 その3
ワタシは今は教育現場から離れてますし、セラピストも片手間ですから、むかしの話ですが、面白い体験があります。

ある教師訓練ブログラムで、ロールブレイをしたときのことです。

お相手は、東京の某有名私立中学の男の中堅教師で、本人も学校の新しいイメージ作りのために、期待と野心をかけて、最先端の教育技法の研修に臨んできたことが一目でわかる、りりしい男でした。
最先端といっても、方法論は単純なカウンセリング法の応用で、生徒の話を傾聴して、生徒に自立した問題解決力を育てる というものです。
で、プレイは、彼の現場での応用を支援するために、年長者のワタシが、夏休みの宿題がやりたくない生徒役になって、彼が教師役でした。

こまかなヤリトリは忘れましたが、結局、悪ガキ少年(ワタシ)の話を、彼は形の上でしか傾聴できずに、ことあるごとに「生徒の自覚」「あこがれてる先輩をみならえ」「わが校の誇り」「親の心配」「自分(=生徒のワタシ)が困る」といった指示命令・勧誘・説教・脅迫 で、結局生徒であるワタシに、「どうせ、オレはバカだから」と、言わせてしまいました。

特別に彼の揚げ足をとってヒネクレてみせたわけではないのですが、彼が放つ言葉に素直に反応してたら、そうなっちゃいました(苦笑)
「生徒を思う、教師の善意には、生徒は従うもの」という前提は、善良な教師であればあるほど、根が強いようです。

終わってから、「こんな生徒は、会ったことがないです」というから、「普段、いかに黄門様の印籠を振り回して威圧しているか、わかりました?」といったら、冷や汗かいてました。
「お仕事は、先生じゃないんですか?」というから、「教師ですけど、知識を教えるってことは、アナウンサーと同じで、役割ですから、別に子ども相手に、イバリたいとか、指導したいとか、支配したいとかいう野望で、やっているわけじゃなくて、わかりやすい説明に専念しているだけですけど」と言ってやりました。

多分、彼は当然ながら、優秀な教師です。
しかしこの「支配の論理」と、「従わない者へのイラダチ・困惑」は、国家公務員が「国民を指導したがる」ように、職業病以前の、この職業を選んだときから、身についているんではないかと、思ってしまいます。

その後の経験で、祭りあげらることで、いよいよ自分が見えなくなるヒトと、いよいよ謙虚になれるヒトとが、確かにいることはいますが、多くは悩んでも、あまり成長しないみたいです(苦笑)

で、「目的や意味はよくわからず、強制する力がなければしないだろうことを逆らわずにする訓練」を、他人に強いて平気でいられる神経というのは、被性的虐待児童が、大人になって、身近な子どもに同じ虐待を繰り返すバインパイア・シンドロームと呼ばれる、投影同一視による「苦痛への共感と支配の快感」なのかもしれません。
つまり自分が受けた、威張られるだけの不毛な権威主義の再生産と継承こそが、彼らの教育なのじゃないかしら?

イジメ裁判で、目の前に事実を突きつけられながら、なおも「イジメはなかった」と証言する教師の空ろな表情は、人格解離状態特有の、無表情さを感じます。

先日の漆間官房副長官の、妄想発言と記憶喪失ですが、こうした答弁訓練を、高級官僚は組織的にしているのか?
素質なのか?
キャリアが育てた、高級官僚としての徳性というかモラルなのか。

民主党が政権をとったら、各官庁に民主党議員を貼り付けるといってますが、結局は、「目的や意味はよくわからず、強制する力がなければしないだろうことを逆らわずにする訓練」をさせられて、自分が「どうゆう態度で、強制されている行為をしているか学ぶ機会」に終わるんじゃないかしら?

これが「組織だ」と言ってしまえば、それっきりでして。

今たまたまわれれは、資本主義の矛盾と、新自由主義経済の傲慢さを、体験できる時期にいるだけに、そうでない価値観の地平を、草の根で育てる試みも、PTAの力かもしれません。

*それにしてもこの論文、掲載誌が掲載誌ですから、岩竹美加子氏は研究で国に奉仕する立場だと思うのですが、こうした論文が書かれ、税金で活字化されたことは、とても良いことだと思います(笑)
少なくとも、彼女が指摘する事態は、草の根で「国を危うくする」現象のひとつなんですから。

仙台市の副市長が辞職
>奥山副市長の辞表受理 梅原仙台市長「慰留したが、残念」河北新報 3月18日14時35分配信
*以下yahooニュース抜粋
>辞任の理由について、奥山副市長が「梅原市長と自分とは手法が違いすぎ、これ以上支えられない」と説明した

>奥山副市長も18日午前、報道関係者の取材に応じ、梅原市長が県立高校の一律男女共学化に反対した際の一連の行動について疑問を示し、「教育長を経験した立場から、教育委員会の行政は中立的であるべきだと考える。市長の手法は自分の志とは違い、一緒に仕事をしていくのは難しいと感じた」と述べた。
*********

田舎ニュースですから、興味ないでしょうけど、田舎にも新しい波が起きる可能はあるということで、取り上げました。

*現市長は、3回離婚してますので、今回女房役に逃げられたことは、4回目の「離婚」ですかね。
これは、私生活を非難するという意味ではなくて、梅原君の社会的適応能力を指摘しているだけです。
彼の個性は、顔が見えない国家官僚とか、逆にスキャンダルが売りになるTVタレントにはむいてても、街を歩く市長としては、女房が使ったと市民のだれもが考えているタクシー券を「公務」と言い張る神経といい、適正が欠けていたということでしょう。
*ウィキペディア「梅原克彦」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E5%8E%9F%E5%85%8B%E5%BD%A6

*「手法の違い」ではなくて、梅原市長の言動は、「権限の拡大解釈」で、「違法」でないですか。

■地方公務員法
第28条 職員が、左の各号の一に該当する場合においては、その意に反して、これを降任し、又は免職することができる。
1.勤務実績が良くない場合
2.心身の故障のため、職務の遂行に支障があり、又はこれに堪えない場合
3.前2号に規定する場合の外、その職に必要な適格性を欠く場合
4.職制若しくは定数の改廃又は予算の減少により廃職又は過員を生じた場合

*「副市長の造反」ではなくて、「市民の権利侵害」として、梅原市長はリコール請求されるべきなんでしょうけど、その動きは、市民といっても山奥に住むワタシには、聞こえてきませんでした。

そんなわけで、副市長辞任の造反の原因が、現梅原市長の公私混同なので、レベルが低すぎて、事態の展開には、あまり期待できないという面もあります。

実際、奥山副市長とは、街で会えば、手を振るぐらいの顔見知りなので、敵意も悪意もありません。
優秀な地方官僚であることは、何回かお話して、互いに意見は違いましたが、知ってます。

彼女が教育長時代、教員採用結果を、慣行にしたがって、市会議員に直前通告して、去年彼女は減給処分を受けてもいます。
だから、それが今回、彼女のいう、「教育長を経験した立場から、教育委員会の行政は中立的であるべきだ」ということと、矛盾しないかどうか、疑問があります。
つまり彼女の「公平」は、市役所職員としての公平であって、市民のための公平とは、ズレがあります。

たとえば、彼女が教育長時代、ワタシに提案してきたある文化政策は、ワタシには「市役所職員(ハッキリ言えば、市の教員=親父の弟子たちの権益・権威の拡大」と見えて、バイアスが多すぎて、「市民のためにはなってない」と判断したために、拒絶しました。
もちろんその後、ワタシが考える「市民のための文化活動」は、市役所と協同で、多大な私的犠牲を払って、ワタシはすでに10年続けています。

それはともかく、だから、「直前通告」のときに辞任しないで、「なぜに、今?」はあります。

仙台市は、今年8月に市長選挙がありまして、反・現役梅原市長で、市役所職員応援の、「市役所党の新市長候補」の可能性が大きいです。

前藤井市長は、その前の市長の現職中の汚職逮捕を受けて、急遽、教育長から担ぎだされた「クリーン市役所」のピンチヒッターで、いわば「市役所党」の市長です。
で、現梅原市長は、前職の任期満了にともなう引退を受けて、有力視されていながら、汚職容疑で辞任した市役所幹部の市長候補の代打でした。
仙台市人口100万人に対して、仙台市の職員数は1万人。この組織票は大きいです。
ちなみに、隣の山形県でも、県庁職員を敵に回した現役県知事が落選して、旧・市長一家の嫁が当選したばかりです。
なんであれ、市役所幹部の市長職への立候補というのは、市役所職員には都合良すぎて、ワタシには反発があります。

これは、ワタシの高校同級生たち自民党系の地元小ボスたちが期待した、中央官僚天下り(梅原君は、通産官僚でした)首長システムの崩壊とも受けとれます。
宮城県は、民主党王国で、県知事選挙と市長選挙は、自民党の最後の牙城で、バカ殿・梅原のご乱心は、民主党が市長を握るチャンスだったのですが、小沢党首のスキャンダルのひとつの震源地なだけに、民主党勢力は、多分、有力対抗候補をたちあげる余裕はないでしょう。

彼女のまわりに、どんな選挙参謀が集まるかまだ見えませんが、「目的や意味はよくわからず、強制する力がなければしないだろうことを逆らわずにする訓練」体質が好きな教育委員会の主導で、PTAが中心支持母体になるなら、ワタシには応援できません。

「公平」を標榜した市役所職員を背景とした、「市役所に都合の良い市民」をつくる「新しいファシズム」が地方都市に生まれることは、ワタシの「悪ガキの血」が許しませんから(笑)

「女性のファシスト」はガンコだという偏見も、ワタシにはありますすが、ただ時期が時期なので、そんなカッタルイ現状維持体制の強化だけで、田舎の市政が運営できるとも思えないので、彼女には大バケしてくれることを、祈るばかりです。

それ次第で、いつでも応援に出かけるつもりです。

どんなつもりでいるのか、一度、彼女に話を聞いてみますかね(苦笑)

田舎新聞によれば、
奥山副市長はインタヴューに応えて、今度8月の市長選への立候補は、「ありえない」と応えたとか。
だんだん政治家らしくなってきましたね(苦笑)

**********

ところで、ヒトにはいろいろな癖があります。
無くて七癖。
一般には超難しい高等数学の数式を見ると、キレイなお花畑のような色が見えるヒトも、世の中にはいるそうですね。
だから、素質・生まれ・体験によって、ヒトはそれぞれ、考えることどころか、目に見えるものまで、違いがあるってことですよね。

そうした中でヒトは、自分の都合中心で、せいぜい自分の家族や身内に、気遣かうぐらいでしょう。
だから、奥山副市長の「公平」意識とワタシとのズレに、とやかくいうつもりは特にはありません。

実際には、とやかく言って、どうにかなる世界でもなさそうだし、ましてむかしから「校長の子どもでないと、教員試験には合格できない」という街の噂も、採用されなかった者とかその家族が、悔し紛れに口にした噂にすぎないと、しておきましょう。
たまたま自分の母校の高校の教師の中に、教育委員会OBの息子のバカ顔を見て驚いても、その青年を「バカ」と見立てたワタシの目の狂い、としておきましょう。

ひょんなことで、知人の女性医師の息子が、酔っ払い運転で事故を起こして、知り合いの女性弁護士(旦那は最高裁判事です)に電話で「なんとかならないか」といったら、罪軽減の嘆願書を作ってくれたと、昨日聞きました。
数年前まで、日本にはいなかった青年です。
最高裁判事の奥様ともなると、電話一本で、右から左で、署名ぐらい手にはいるんですね。

実際アメリカは、値段の高い弁護士なら、交通事故程度なら、かなり罪が軽減されるそうで、TVのCMまでありますよね。
だから労働ビザ取得程度なら、弁護料次第だとか。
日本も、アメリカ並になりつつあるのかしら?

別な話で、他人の免許証で事故を起こしたあるお金持ちの青年の弁護士は、獄中で婚約者に手紙を書かせ、面会に通わせて、裁判官の心象を良くし、確か刑を軽減されて、2年の刑期を1年数ヶ月ぐらいで出てきたら、青年はすぐに婚約を、慰謝料も無しで破棄しました。

両方とも、仮にうちの息子が起こした事故なら、ワタシは、こうした軽減方法は、思ってもみないでしょう。
しかし一方、権力や権威を、上手に使いこなすことを覚えた青年が、身近にも増えつつあるようです。


ところで、
何が言いたかったというと、「公平感」にうるさかったり、社会奉仕に熱心なヒトは、児童虐待の被害者に多いです。
これを「隠された怒り」のセイにするヒトがいます。

「理不尽な暴力」にさらされて育ったヒトは、「世間の理不尽には、本能的に敵意を燃やす」という説明は、もっとなのかも知れませんので、強いて反論はしません。
ワタシの体験から言うと、被虐待児は自分に自信がないので、「だれにもケチをつけられない正義や公平さ」を味方につけて、「自分が居る場所を、社会に確保したい」という衝動があるようです。

というのは、ワタシが監査を勤める、高齢者虐待の施設を摘発したりする社会福祉関係NPOの主催者は、まじめな弁護士ですが、「人権派」と周囲から苦笑されてまして、彼も子どものころ、とてもキレイだったお母さんに、邪険にされてたみたいです。

彼は優秀な男で、エリート銀行員から司法試験で弁護士に転進して、今では田舎では指導的立場にいて、弁護士会の最高参謀です。
中学生のころには、良くワタシの宿題とか、「来週試験があるのに、何も準備しなくてよいの?」とかって心配してくれて、うざかった覚えがありま(苦笑)
で、最近軽いウツ病になったとか。
あるとき一緒に酒を呑んでいたら、自分の女房から「一緒の墓には、入りたくない」と言われたと、彼は泣いてましたので、「犬とか金魚とかと一緒でよければ、ワタシのお墓は、空いてるよ」と、言ってあげてます(笑)
ヒトとの付き合いが、今でも上手ではないみたいです。


そんなこんなで、還暦すぎても、まだ出てくる被虐待体験の影響と、力を得た女性の怖さを、最近感じてます。
まあ、男にも、ヒドイ弁護士は、いますけどね。

ワタシの日記やブログを読んで、「偉そうに」とコメントしてたヒトがいましたが、「自信が無い、空虚なむなしさを埋めるための、生き延びるための自己防衛」という発想は、そうゆうヒトには、理解するにはムズイかな?

わが子の酔っ払い運転の罰を軽減するために、友人の法律的権威を利用する母親が「偉い」のか?
放置する親が、正しいのか?

役所の都合・習慣を「公平」とする思想は、「一般市民にとっての公平とは違う」とするワタシの立場は、「隠された怒り」の発散にすぎませんかね?
なにはともあれ、最低、自分の立場を掘り下げるぐらいはしてほしいです。

ここを読む方に、実際「不登校だったり、引きこもっている方」が、何人かいるようですが、せっかく生き延びて、引きこもっているなら、変に社会に適合する前に、自分を誤魔化さないで、充分、自分を掘り下げておいてほしいです。

それもまた、立派に「今を生きる」ということですから。

特に怖いのは、被虐待児が、大人になって、無意識にふりまく虐待行動です。
はっきりしたバンバイア・シンドロームによる虐待なら、まだ自分でも
、その苦痛から、だれかに助けを求めるヒトもいますが、そうでない方は、かなり危険です。
しかもそれは無意識なだけに、実に怖い自己欺瞞を繰り返します。
実は告白すると、ワタシ自身も、最近まで、まだこの怖さを、頭ではわかっていても、実感はしてませんでした。

しかし50歳すぎたオジサンが、女子高生を相手に、「愛している」などとほざく妄想は、無意識化された衝撃の繰り返しなのです。
こうしたニュースに対してのネットでの書き込みとかを読むと、「相手があることで、恋愛ではないか」というカキコを、結構見かけます。
こうした自己欺瞞の色眼鏡は、単なる冗談ではないでしょう。
そう思うことは罪ではないですが、行動に移すことは、子どもの人権・自尊心を、根底から脅かします。
それこそが、「魂の殺人」なのです。

ガッコの先生・公務員、宗教家、医師や警官や法律家や、社会活動家や、社会貢献度の高い活動に熱心な方にも、ときどき起きている現象です。

今だから書きますが、ある高齢者施設で起きていた虐待を、表に出る仲間とは別の部隊を使って、われわれは非合法スレスレの手で、秘密裏に救出しました。
だって事態は、時間との闘いだったからです。
何が言いたいかというと、こうした人権侵害には、そのくらいの対応をしないと救えない場合があるし、その覚悟をしているヒトたちが、少なからずいるということです。


いずれにせよ、自分を掘り下げる作業をしてないまま、矛盾を抱えていたヒトが、簡単なことで、わずか1、2週間で、あっけなく人格が壊れる例を、最近、見ています。

だから、何が理由で、きっかけが何で、そうなのかはわかりませんが、今「引きこもり」の方々は、どうか、なんとしても生き延びてください。

生きていれば、今は見えなくとも、還暦ごろには、今、自分を押しつぶしている「道も歩けない不安や恐怖や、怪しい衝撃や、こみ上げる怒りの衝動」の仕組みやカラクリが、「ああ、こうだったのか!」と、自分や周囲から、見えてくるはずですから(笑)


  1. 2009/03/23(月) 00:00:00|
  2. 今週のスクラップ
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今週のスクラップ・ブック 03/16

小沢という政治家は
田中や金丸の弟子として、金権政治家の体質の真ん中にいながら、その都度、政治改革を口にしてきたヒト。
>小沢氏の進退 選挙影響で判断 (毎日新聞 - 03月10日 23:32)
「ドブ川にガラスを張っただけ」といわれる小沢の資金公開も、今のままでは「形式違反」におわるのかしら?
本人は、「安政の大獄」とかいってるそうだけど、幕末にも、ご用金を名目に、ユスリ・タカリの浪人はいて、末路はあわれだったみたい。

彼がいう政権交代は、だれのためなのか?
何のための金集めなのか?
国のためなら、獄につながることで、国内外の世論を喚起して、専制政治に抵抗したヒトは、世界中にいくらでもある話。
今回、話は、そうゆう展開にはならずに、法解釈や秘書のせいにして、国内世論の受け止め方や印象次第で、居直る気配を感じるのは、彼が過去にとなえてきた政治改革の目的に、疑問がつきまとうから。
そんな小沢に依存する民主党も、自民党の分家に過ぎないってことね。
当分、政権シャフルは続くわけで、選挙なしでの、世代交代のひとつの、始まりと考えた方が、良いみたい。

ただしこわいのは、知恵者がいて、一度、小沢が身を捨てたボーズをとって、単純なマスコミや国民の目をくらませて、見た目は清潔なポーズで民主党に政権をとらせて、小沢は集金力と官僚への影響力で、第2の闇将軍になって、院政で専制政治をしくこと。
こうなるといよいよ疲弊してきた田舎での金権政治と、小沢事務所の恫喝体質は、延命してしまいます。

それにしても、小沢は口では政権奪取をいうけど、郵政民営化した小泉みたいな怨念もないようで、だからそれにしても、トリック使ってまで、政権にこだわるほどの「政治家としてやりたいこと」が、金権臭が漂う小沢には、見えてこない。
小沢首班の連立構想だって、昔からの自民党体制を見てきたご意見番気取りのナベツネぐらいで、そうした有力政治家や官僚たち政治エリーとたちの「密室政治」の焼き直しみたいな姑息な方法は、やはり挫折したし。
で、次の選挙で、まともに民主が政権を取っても、小沢首班は、今のご時世と、彼のセンスでは、それだって半年か1年の寿命じゃないかしら。
最後は、得意の恫喝集金力と政治で、ズルズル延命に走るのかも。

それにしても、
ほかの民主党に限らないけど、政治家が頼りないねえ。
というか、ヘタなキャッチフレ-スで、軽薄なマスコミとともに世論をかき回すんではなくて、地道な次世代のための仕組みを整える時代なんだと思うけど。
そうした政治家が表に出てくるまで、前世代の「実力者」が何人か消耗されないと、出てこれないってことですかね。

こうなったら、ぶってぶって姫、大いに結構。
女性刺客、結構。
もはや、サイコロに運を任せるしかないなら、そこから駒が出るのを待つしかないって、ことでしょう。

****
以上のmixiカキコミに対して、「政治屋です」とのコメントをもらいました。

以下が返事です。
****

そうですね。
政治屋の論理でない、新しい政治勢力形成の原理は、なんなんでしょうね。

今すでにそうなっているといわれてますが、このままだと、国民には顔が見えない国家官僚が、ますます力を得て、民主政治のふりをしたファシズムに収まりそうです。

漆間官房副長官の妄想発言といい、記憶喪失発言といい、こうした言動は、「政治家や学者や企業を、かわいい・かわいくない」と評価する、「官僚の思い上がり」そのものです。
麻生首相のかばいだては、官邸が官僚抜きには立ちいかないことを、モロに示していて、鼻先でコケにされた大手新聞社の記者たちといい、言いたい放題させてる神経がわかりません。

今回、議論は、「オフレコは、実名を公表すべきか、最後まで公表すべきでないか」とかの議論になっていますが、問題の本質は、「官僚の思い上がり発言に、手がつけられない現状」じゃないのかしら。

まるで中国専制政治時代の宦官政治を、見せつけられてる思いです。

今や与野党そろって政治家や、もともと政策説得機関にすぎないマスコミは、ここまで増長した官僚の、便利屋に過ぎないのですかね?

官僚は顔が見えないから
彼らはぬくぬくとやりたい放題。

>漆間氏らが内閣人事「骨抜き」 (毎日新聞 - 03月13日 02:41)
「使いこなす」とかって、偉らそうなこと言ってた麻生首相は、まるで脅されてるみたいに、「使いこなされてる」みたい。
安部元首相の「官邸崩壊」が、官僚内慣行違反を原因とする官僚のサボタージュがひとつの原因だったのを、そばで見ていたからかしらね。

国家運営の実際は、官僚が動かしているわけで、先の対政務次官テロは、妄想だったみたいだけど、この「見えない政党=官僚党」がビビッたのは事実。

日本人はお人好しが多いから、「まじめな官僚なのに」とかって、見かけに簡単にごまかされるけど、世界を恐慌に巻き込んだアメリカの金融政策だって、日本のド田舎の道路工事だって、トップの政策を実現するのは、役人次第。
逆に言えば、役人にとって「かわいいトップ」は、「役人の権益を邪魔しないトップ」であることは、いくつかの大衆的人気を持つ首長が、こうした官僚システムとわたりあってる姿に、大衆が喝采してるからでしょ。

「匿名性」に隠れて、どれほどバカバカしい国家主義やってるかは、いつも結果や弊害が大きくならないと、世間は目を向けない。
田舎の首長選挙レベルだと、田舎新聞のバカ記者が木っ端役人のリークにノセられた印象記事を書くだけで、簡単に落選してる。
田舎の「草の根民主主義」ほど、役人に汚染されているけどなあ。
役人の国家主義は、痴漢だって、家庭内暴力だって、権限を広げるためには、なんでも使ってるし、事実「国民の皆様から、頼んでくるので、われわれは仕方なく」と、しゃあしゃあと公言しています。
地域社会から、協同性・生活力を奪ったのは、彼らなんですよ。

「今年のバカバカしいお役人仕事トップ10」とかて、責任者の実名公表でキャンペーン張るだけでも、ガンコなくせに役人は「評価や評判」に弱いから、面白いと思うけど。
ルートを違えて、2,3人から文句つけてやると、案外に簡単に役人はビビルところもあるから。
逆に言えば、そんだけ役人の国家主義というのは、彼ら独自の実務論理の、オカルトじみた組織の物神化と縄張り意識中心で、ナショナリズム以上に思想や中身がないことが、危険でもあるんだけど。

精神科医の大量薬物公害反対キャンペーンもそうだけど、疎外されたクライエントの立場からの、こうした地道な運動は、結構、根気次第で、ローブローになっていくみたい。

*今、田舎役人とあることで契約を交わしている最中ですが、あまりにも非常識な、思い上がりもはなはだしいオカルトじみた文書に、「サインしろ」と持ってきたので、つき返しています。

だから田舎のローカル・ニュースのレベルだけでも、結構アホ役人ネタは集まるけどね。

意識的に芸能ネタに偏向して、愚民化政策にまい進しているネット・ニュースでも、やれることはあるんだろうと思うけど。

東北の民主党議員は、
次の選挙用写真は、まだ小沢とのツーショット写真のヒトがいるみたい。
> ■東北談合、「小沢事務所の希望」本命決定に威力…関係者証言 (読売新聞 - 03月13日 03:14)
まあ、もともと談合の歴史しかない世界だったわけで、目先、福祉だ、女性候補だといっても、役人やマスコミぐるみで、そうした仕掛けの「清潔ムードの隠れ蓑」に使ってきたってことね?

つうことは、彼女たちは、確信犯?
それとも、「自分たちは、だまされてました」とでも、選挙では泣いてみせるんだろうか?
支持者のオジサンたちが、「TVで見るよりキレイだ」とか言ってるのは、単なる言い訳にしてもヒドイんじゃないかい。

隣のおばさん(例の学校給食食肉偽装会社の引退会長夫人にして、ワタシのシビアな政治評論指南役)にいわせると、「彼女は変わり身が早いから、写真の隣が、誰に変わっても、平気なのよ」だって。
さすが、鋭いわ!(苦笑)

次回の選挙で、不況の深さや、見えてきた小沢流集金術の実態とかで、組織票が崩れだすと面白くなるけど、組織票が浮動票に移動しても、浮動票はこれまた印象操作で、フワフワしそうだし。

むかしある民主党国会議員が、呼んでもいない我が家のイベントにノコノコ顔出したとき、初対面のワタシの一瞬のニラミに、彼女の足がすくんで止まったことがありました。
誰が呼び込んで、何しに来たのか? だいたい理由はわかりますが、余計な化粧がない分、男の代議士の方が、まだ単純でわかりやすいですね。
タレントと同じで、マスコミ人気や、利権がからまない視線には、ああゆうヒトたちは、もともと弱いんでしょうね。

で、国策捜査っていうけど
具体的なきっかけは別として、背景には、自民党と長年つるんできた官僚たちに、官庁改革を公約する民主党政権への警戒があったことは、確かでないかしら。
で、仮に3月末に小沢が訴追をまぬがれて、小沢首班内閣が立ち上がって、自民系官僚と民主系官僚の勢力争いが激化しても、官僚は生き延びるんで、先のトボケた一連の漆間官房副長官の発言は、そうした権力誇示とも、見えてきますね。

結局、麻生自民も小沢民主も、同じ集金力に依存した政治力であり、そうした流れそのものが、表に出てきたということが、時代なんでしょうね。
それでもまだ「企業献金を無くそう」という声は、出てこない。

次は九州のキャノン系裏金の流れが、表にでてくると、もっとはっきりするんじゃないかな。

宣伝のためのパフォーマンスなんでしょうが
対費用効果としては、良かったろうけど、毎回は使えないでしょう。
(でも、常習犯という説もあったけど)
>人気アーティスト・奈良美智、NYで逮捕も「いい経験になった」(サイゾーウーマン - 03月14日 08:10)
それにしても、なんかむかし似たようなものを見た覚えがあるような、奇妙な既視感を覚えます。
絵だけでなく、中身の感性も、売り込み方まで、レトロなのかな?

知恵のないアシスタントつきで、「寵児の孤独」?(苦笑)

せっかくチャンスを得ているんだから、時代の先端を切り開くために、才能を大事に使ってほしいけど、まわりもそうさせてばかりは、いられないんだろうか?

この程度の才能の発揮ですら、単純ではなくなった時代になってますね(苦笑)

心なしか、描かれた少女の目つきが、鋭さを失ってないかい(笑)?

*******

ところが、
このワタシのmixiカキコミに対して、以下のカキコミをもらいました。

******
プロフ見させて頂きましたけど、なるほど、そういう方なんですね。
偉そうなこと言いますね。よっぽどの人格者か、才能がおありなんでしょうね。
(全文)
******
ワタシの返事は、以下です。
******
ははは、お陰様で(笑)
******

ワタシのブログを読んで、どうしてこうゆう結論に達するのか、理解に苦しみます(苦笑)
こうゆう反応が出てくるとは、思ってもいなかったので、久しぶりに12歳のときの、悪ガキの血がうずきました(笑)
このタイプのカキコミは、論理といい、ツッコミ方といい、小泉元首相全盛期に、ワタシが書いたコイズミ批判に、匿名でトンチンカンに怒ってきたジイさん以来です。

こうした「でしゃばるな」とか「偉そうに」とかいう人格攻撃は、日本固有のものでしょうか?
それとも、ネトウヨ・ネトサヨ固有でしょうか?

これでは、人権意識は、育ちませんね。
若いヒトたちが、「KY」とかって、周囲をやたら気遣うのも、こうした風潮が、メタンガスのように、いつ吹き出てくるかわからないからでしょうね。
いじめられた中学生が自殺するのも、こうした匿名性に隠された人格攻撃に囲まれるからでしょう。

ところでフランスでは、2005年スタートの個人情報一元管理プロジェクトは、たどっていくと親元はCIAにたどりつくとかって、フランスのTVがいってました。
インターネットでの発言とかも、すでにチェックされる時代がきているでしょうね。

新自由主義市場経済の単位は、バラバラにされた労働・消費の単位としての、アトムとしての個人です。
だから地域社会や国家すらも、グローバル経済のハサミでアトムに寸断され、安い効率の良い商品としての労働力と、自己増殖する資本とに、切り裂かれていきます。
発展途上国では、かつての植民地農業方式と同じで、「人件費が安いから」と、どっと工場がやってきたかと思うと、景気の変動が起きると、またどっと移動して、その国の経済をメチャメチャにしてしまいます。

事態は1990年代から進行してたようですが、われわれがヒシヒシとそれを感じないのは、網の目がまだ大きかったからだけだったんでしょう。
さすがに今回の世界恐慌では、田舎でも、そろそろヒシヒシ来ているみたいです。

いよいよ個人の思考・感情こそが、「武器としてのタマゴ(砦)」になってきてますが、果たしてそれを育てる力が、日本人にはあるんだろうか?

やっぱり「アラカン(=アラフォーの向こうを張って、<アラウンド還暦>という意味だそうです)」は、マルクなっちゃあ、オシマイですね。
  1. 2009/03/15(日) 00:00:00|
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今週のスクラップ・ブック 03/09

民主・小沢の金権体質ですが
小沢の師・田中角栄は、刑事被告でありながら、「闇将軍」として政権を操り続けました。
ワタシが知っている民主党の政治家は、もっと庶民的で市会議員レベルの政治感覚ですけど、こうした小沢の体質は、やはり野党とはいえ、田中や金丸の後継者としては当然なことでしょう。

本家の自民党の隠蔽工作が、もっと進化してて、分家の小沢の体質が、進化できてなかったのか。
代議士の第一秘書が金庫番などということは、あまりにもワキが甘いというか、世間をナメテルというか、何かあったら一発でセンセイが監督責任を追求されると、素人にもわかることですけど。
一方、部下の進言に、「オレを信じろ!」と、無造作な献金を続けていた三流ゼネンコン社長の信念化した妄想が、国政に衝撃のを与えたというところでしょう。
小沢の第一声が、「検察権力の横暴・国策捜査だ!」というのは、彼の体質が進化してないことを、覚えず暴露しちゃいました。
それにしても、20年30年前の自民党体質は、今出てくると、テロですね(爆)

結果がどう転ぶのか、まだ予断を許しませんが、某知事の秘書自殺であわてた検察の追及で、「辣腕政治家」の神話の実態が、実際はこうした「集金力だった」ということを明白にしたことが、今回の事件の成果でしょう。

西松が請け負った岩手の大型ダム工事などで、具体的な証拠があがるとも思いませんが、「寄れば大樹」で、小沢の意向にそうよう、中央・地方の木っ端役人たちが動いたというのは、ありそうなことです。
それこそが、「影響力」というやつでしょう。
小沢抜きには、民主党は、官僚世界に切り込めないのが、実際なのかなあ。

要は、現代の政治システムのコスト負担を、どうするかということでしょうが、地方分権が進展すると、こうした体質が、地方に分散するのでしょうか?
巨大化した現代の大量生産・大量消費社会のシステムは、単純に地方分権化で、浄化されるんでしょうかね?

バラマキ政治の腐臭が、野党から出てきたことに、時代の転換を感じたいですけど。
そうした与野党の政治体質への、対立軸がまだ見えてきません。

タニマチみたいに、企業が道楽で「政治家を囲う」って時代でもないでしょうし、「企業献金の廃止」の声が、こうしてごまかされる現状は、小沢も具体的な責任問題だけでなくて、「政治家」としての見識が問われそう。
代表降りても、また「第二の闇将軍」になるつもりならば、金権体質はなくならないってことですけど。

防衛としての分裂機制
知り合いの60歳代のおばさんから、電話がありました。
彼女は、ちょっとひどい貧血症で入院してたのですが、検査の結果悪いものではないとのことで本人も安心してたのですが、イヤがっていた輸血を、無理やりされたとかで、医者や看護婦ともケンカして、家族にも黙って、退院してきたというのです。
(ここまでは、彼女の話でして、夕方、食事がてら他の医者に裏をとったところ、「いまどき、本人の承諾なしで輸血なんかしないわよ」とのこと。さらに彼女は医者の奥さんなので、「白衣はパパを思い出すのでイヤなの」といってるとか)

実は彼女は、田舎町では老舗の、入院施設ももった私立外科病院の院長夫人で、先年、旦那が脳血栓で倒れたあと一度は再起したのですが、その後ヤクザにつけ込まれた、旦那は去年、失意のうちに亡くなり、奥さんと息子は、数億円規模の借金を背負わされ、病院は閉鎖という、小説になりそうな世界の、サブ主人公です。

行きつけの喫茶店での顔見知りなのですが、田舎のこととて、名乗ればお互いどこの誰と判別できる世界で、話は錯綜していて、彼女もどこまで理解できているのか。
仮に理解できてても、表現ができないらしく、1年や2年の拗れで大きな病院がつぶれるはずもなく、過去数年の、大学病院の助教授の軽薄な計画や、田舎医者仲間の世間知らずとか、いろいろ絡んでいたことはたしかなようです。

それはともかく、外科医の奥さんですから、血液からの感染症を怖がるのはわかるとしても、医療拒否してくるほどとは思いませんでした。

多かれ少なかれ
われわれは、迷信の中で、日々を暮らしています。
形になると、信念とか思想とかイデオロギーとか芸術とか自我とか、小さいところでは癖とか性格とか人柄とか雰囲気とかに結実しますが、その根っ子は、不安やパニックを背景とする自己愛性妄想です。

うちのお袋も、晩年、排泄の汚れを親父に嫌われて、それを機にして拒食症になりましたが、病院では「ボケばあさん」呼ばわりされ、3か月ワタシが3度の食事の世話をして、ようやく治りました。
ほかにも、某大企業の重役夫人で、下の汚れを嫁に非難されて、ついに一切の飲食を拒否して、自宅で自死した、高齢の女性の話も聞いたことがあります。
「ヒトを駒としか見ていない」と新自由主義が非難される、ずうと前の話です。

ワタシは、「東北に奴隷制が残っている」と社会学者に指摘された、「老後を見るための養子」ですので、「ヒトをヒトと見ない」という、子どもの意志というか、いまどきの表現なら「人格無視」の苛酷な世界は、身にしみてます。
こうした環境の育ちは、慣れた方にはすぐにわかるらしく、ワタシも同じような境遇の人間を見ると、その卑屈な目線や態度で、すぐにそれとわかります。

実感としては、村落の協同社会を維持する単位としての「家」を維持するための「奴隷的養子」という「制度」そのものに問題があったというより、「他人を道具とみなす」大人の「自己愛性妄想からでた、子どもの人格無視」が、子どもを卑屈にしたんだろう思います(社会意識として、「差別」が無かったという意味ではありませんけど)。

ブルジュア階層における、家父長制維持のための「政略的養子縁組・政略結婚」とはまた違った意味が、「東北の漁村や農村での養子制度」にはあったというのが実感で、社会学者がいう「封建農奴制の残存として養子制度」というのは、イデオロギーが先行した価値判断に思います。
資産階級の日本的な人格形成の、精神構造の暗部は、妊娠させた姪を置き去りにして海外留学に出た島崎藤村あたりをしらべると、見えてくるかもしれません。

ワタシも、旧家出身の旦那が大学で英語教師をしていて、女子大生に手をつけた結果の私生児でした。
ただ受け入れた養父母(親父お袋)は、ともに古い家系とはいえ、当時は没落していて、貧乏絵描きでしたから、継ぐべき資産もなく、戦後すぐの時代的な背景として家父長的夫婦関係が、タテマエとしてあった程度という記憶です。

お袋は、死ぬ間際、「どうしてお前は、そんなにやさしいんだい」とつぶやいてました。
お袋は、たまたま拾った子どもを、自分の都合だけで、ワタシを気まぐれにかわいがり、精神的な虐待してきて、自分が優しくされるとは、思えなかったのでしょう。
しかしワタシの「自我喪失」の卑屈さは、彼女が植えつけたものです。
その点で、ワタシは、かつて彼女が望んだように、ワタシは育ったということでしょう。

彼女もまた、いくつかの大店の養女として、猥雑な当時の被虐待も含めて、生きる術として身につけた「空虚な利発さ」で、生き延びてきたヒトです。
自分が生きたように、わが子を育てただけだったのでしょう。

最近読んだ、
アメリカのグレッタ・アイルズという女性が書いたミステリー『血の記憶』では、性的虐待を受けた女性たちが、結束して加虐者の男性たちを連続殺人していくという話です
この中で追求する探偵の女性が、彼女の祖父が、幼児期の性的虐待をバックに、娘(主人公の母親・伯母)・孫娘(探偵)をも毒牙にかけていて、その「失われた記憶」を探す話が、事件解決の伏線に描かれています。
ワタシから見ると、小説ですから、都合よく話はできてますが、孫娘(女性探偵)の心的外傷後ストレス障害(PTSD)の後遺症が、多くの後遺症を集約したかたちで、メインテーマとしての「魂の殺人」の実態がリアルでした。
レイプ大国アメリカらしい、血なまぐさい話で、日本の女性作家には、描けない世界だろうと思いますけど。

ところで、今朝のオバサンのとっぴな話と、こうした幼児虐待と、どうつながるかですが。
彼女は、前々から、その言動に見える過剰な性的象徴や、宗教家だったという父親との愛憎エピソードとか、義父との近親姦的雰囲気とかから、なにかありそうだと感じてました。
そうした彼女の情緒的不安定の背景や、旦那が親に差別的に虐待された育ちだったとかの話を聞くと、そうした精神的不安定さが、夫婦の親和性のきづなだったかとも、思ったりします。

ところで多くの男性が、
初老を迎えても、むかえなくとも、「お袋」を神聖視することを見聞きしますが、母親の自己愛性支配欲に気づいている男は、多くないです。

初老の男の、「母敬慕」の表現には、ワタシには女性の支配欲のすさまじさが、透けてみえることがあります。
ある少年の母親は、「仕事柄、汚い言葉はつかえませんので」といいなら、やさしい言葉遣いで、毎日の弁当で、子どもの意志をつたえていたのは宮内庁の女官でした。

こうした家族関係が濃密な国として、日本、イタリア、ブラジルが上げられます。
そのイタリアで、最近「引きこもり」が増えているとか。
過保護・過干渉が、幼児期の性的虐待の結果でおきる症状とよく似ていることに、最近気づきました。
過剰な支配が生んだ、ストレス症候群なのでしょう。
家族を形成するのは、霊長類では人間だけなんだそうですが、ほかのサルには精神疾患はないのかしら?
最近、ペットで、いろいろな精神疾患が問題になってますけどね。

要するに、絶対的な依存状態にある幼児が、保護者を信頼し、その保護のものとに自我を育てるわけですが、この幼児側の信頼を利用して、大人側に支配や私物化が起きる場合があります。

支配欲は、絶対的な服従と崇拝を要求しますが、当然子どもが大きくなれば、親が客観的にみえてきます。
また大人も、そうした絶対視には、生身の人間は耐えられません。
そこで利用されるのが、社会だったり、国家だったり、神だったり、教育だったり、学校という組織だったりです。
つまり子どものワガママを矯正するために、実体のない外部の権威を借りてくるわけです。
もちろん、これによって、子どもの抽象的な思考能力が生まれることはたしかです。

しかし弊害もあります。
代表例が、子どもの叱り言葉です。
「ヒトに笑われる」「世間に顔見せできない」「おまわりさんにしかられます」「モウコが来る!(昔泣く子をおどすのに、これは日本中で使われました。で、一般にはこれは元寇をさすといわれていて、仙台あたりでは「蒙古の碑」と呼ばれる不思議な石碑が、いくつもあります。言語学的には、「ベーと鳴くからベコ=牛」「いつも寝ているからネコ」で、「モウーと啼くのは、化け物」だろうと、最近はいわれています)」「先生にいいつける」でしょうか。

こうして育てられた「親への絶対視」は、親が、長所も短所もある具体的な人格が認められない、幼児的世界観です。
ある意味で、依存的な精神ともいえます。

周囲の悪口で自殺する中高校生。
「まわりの空気を読むことに、命がけになる若者」
「大学で人気者になりたいために、振り込め詐欺に加担して、資金を稼ぐ大学生」
「酒は飲まず、性的雰囲気を殺した草食性の青年」

刈り込まれた自我の、結末なんでしょうね。

一方、幼児の快は、親に依存していますから、その不快は、親の人格が、悪者に代わったと、子どもは認知します。

これが有名な
「良いオッパイと悪いオッパイ」の論理です。

この統合ができない人が、「良い子と悪い子」に人格が解離する現象がおこります。

たとえば、性的な関心は、近親姦タブーにより、親には性的な面は開放できないので、悪い子の側面が表出します。

親孝行で、家庭では「母」である母親を神聖視する中年男が、平気で援助交際したり、海外で買春したりする理由は、こうした精神の未熟性が、背景にあります。
ワタシの周囲でも、マザコンであるほど(=当然ながら、偏差値が高い例が多いです)、買春行為は、金で支配欲を満足できる「ひそかな楽しみ」になっています。
面白いことに、その性愛の中身は、相互互恵というコミュニュケーションになっていないので、きわめて中身が貧しく、「悪いことをした」「他人を支配した」という充足感だけのようです。

で結局、その愛情関係が、「支配と被支配」の関係だけに還元されるようです。

たまに50歳を超えた男性教師が、女子高生に手を出して、「恋愛だあ!」と主張しているヒトがいます。
未熟な精神の大人が、子どもの未熟さを利用して、自分の支配欲を満たしているだけです。

こうした精神活動のループする総体を、ワタシは「自己愛構造体」と呼びました。

精神のレベルや状況によって、こうした自己愛構造体は、さまざまな姿を見せます。

たとえばところで、大昔の結核菌が出た93歳の親父は、「軽く治りますよ」という医者の言葉に必死にしがみついて、真夏の西日の当たる、夜9時に規則で冷房が切られる隔離病棟で、急に体力を失って、あっけなく亡くなりました。
お袋は、「孫のような医者の言うことなんて」と、シカトし続けて、これまたあっけなく亡くなりました。

普段の自己愛的言動・性格から、多分そうなるだろうとは息子は予感はあったのですが、起きてみると、いきなりの急展開で、手から砂がこぼれるように、事態はあれよあれよで進行して、守ってやることができませんでした。
2人とも齢に不足はなく、医療事故というにも、「高齢者の患者の受け留めからに」配慮が足りなかったという程度です。

いずれにせよわれわれは自分の、たしたこともない思い込みに、命を預けて生きてます。
で、その強さは、不安やパニックの根強さに比例しているようです。

もちろんこれが創造性の源になることもあるのですが、多くの天才が不幸な終末を演じている姿を見ると、向きというか、スイッチを間違えると、自己破壊にむかうのかなあなどと、最近の自分をふりかえっても、思ってます。

で、今朝のおばさんですが、このまま強い妄想にしがみついて、精神病的世界に突入するのか、軽い境界例的妄想で、ひょうひょうと生きて生きていけるのか。
もう少し様子を見ないとわかりませんが、もともとあまり欲のない方なので、亭主が残した膨大な借金など、投げ出しても良いと思うのですがね。

ところで、
このオバサンの、「白衣を見ると、パパを思い出してイヤなの」というセリフと、「輸血がイヤで、医者や看護士とケンカして、退院してきた」という話の関係ですが、これはいわゆる防衛機制の分裂とみなして、説明してみます。

つまり「良いオッパイと悪いオッパイ」の理屈をあてはめると、彼女にとって「パパへの思い」が、「良いと悪い」の二つに分裂していて、「自分を苦境に追い込んだ、悪いパパを象徴する白衣」が、今、自分を看護してくれる医者や看護士の白衣に「転移」したということでしょう。

こうして、自分の中の憎悪を、自分の内部に統合できないヒトは、それを外の対象に転移して、「否認・憎悪」します。

犬のようにツルんで遊んでいた中学生が、突然、不倶戴天の敵にまわって、口汚い悪口合戦をしたりします。

筋弛緩剤で、入院中の老婆を殺したという青年看護士は、「恋人のように仲良し」だったのに、彼女に勧められた縁談を断ったことで、「相互の立場の違いが鮮明になり」、その「区分」に耐えられず、そうした「区分」を強いた老婆に、一転して憎悪を燃やしたと思われます。

うちの親父の例では、親父の絵を崇拝していた外科医に、お袋の膝の治療を頼んでいました。
その外科医は、絵を趣味としていて、ワタシとは同じ高校で、2年先輩にあたりました。
ワタシが反抗して、仙台の大学を拒んで江戸に脱走してい以来、両親は何人かに投影同一視と支配欲を発揮していましたが、この外科医夫婦も、その毒牙にかかりました。

彼は、所詮は素人でしたが、以後、田舎の展覧会では、賞を総ナメしてたようです。
*実は、ときどき親父は弟子の絵に筆を入れてました。
ただ一筆でも、力量の差は歴然としていまして、息子の目から見ると、そうした絵は、一枚の絵に、二人の人格がせめぎあうという、奇怪な絵になっていました
ですから専門家が見れば、一目でそれがわかります。

で、当時、親父の傑作の絵を、その外科医が購入することになり、明日、渡すという前の晩、嫉妬に駆られた女弟子が、強引に押しかけてきて、その絵を押買い(中世商業では、物資の絶対的な不足から、「押し売り」とともに「押買い=強引に物資を買っていく不法行為」がありました)していきました。
どんな説得方法を使ったのか、知る由もないですが、金とも思えず、忠誠度なのか、外科医の親父への影口ネタでもつげ口したのか。
ともかく以後、「息子同様」に出入りしていた外科医は、「お袋の治療で不都合があった」との理由で出入り差し止めになり、以後、親父はことあるごとに、その外科医が「けしからん」理由を吹聴していました。

こうしたパターンは、親父とお袋の周囲には累々と転がっていて、結局、後は何を言われても、親父の権威(親類たちはお袋の、大叔母=ゴッド・マザーとしての権威)にひれ伏す、精神的奴隷だけが、両親の周囲を固めることになりました。
強い利権があったわけでもないのでマフイアとはいいませんが、カリソマを核とする学閥内カルト集団ができていたことは確かです。
ワンマン経営者や宗教家や学者など、「権威の高さ」で高い評価を得たヒトの周囲に、奴隷的なYes Man が群がる事情には、こうした背景があります。
この現象は、学校の先生にもおきますが、これは相手が子どもであるために、価値観の押し付けが仕事の一部になっている事情があるでしょう。

「信念」にしがみつくほど、自我に分割を抱えた「脆弱な自我」は、批判に耐えられないために、「自分より弱い自我」を集めたがり、こうした「価値観の浮遊」は、結局その集団の精神をよどませ、疲弊させ、腐敗させます。
小松の献金趣味の社長の、「オレを信頼しろ!」の背景には、そんな事情が想像できそうです。

かわいくない大人
よく高級官僚が内輪で口にする言葉に、「あの新聞記者は、かわいい」「あの企業は、かわいい」というセリフがあります。
最初に聞いたとき、自分の耳を疑ったのですが、言った本人は本気でした。
その後、何回か似たようなセリフを耳にして、「官庁の指示に従う個人や企業」が、「わかいい」という受け止め方なのだということが、理解できました。

官僚主義というと、非効率・非人間的・無理解の代名詞になっていますが、その弊害の本質は、こうした「価値観の浮遊」から発達した、「役所の文化」として発達した、「集団としての、自己愛構造体の脆弱さ」に、あるのではないでしょうか?

最近「反官僚主義」が、政策面でも問題になってますが、実際に国家を形成しているのは官僚でして、官僚の思考パターンを理解できないと、サボタージュと反発で、「うつくしい国」なんて呪文が好きな安部元首相レベルのヤワな政治家なんかは、簡単につぶされますけどね。

もっとも官僚には官僚独特の共有妄想があって、最近も、国家主義の官僚が、「家庭内暴力で警察の力を借りるのは、国家への依存だ」「だから、国民のみなさんが、要求してくるので、われわれは仕方なく」とか、いってましたので、「ワタシも国民だけど、頼んだ覚えないけど」っていってやったら、黙ってました(笑)
前からワタシが警戒している「不審者情報ネット」などは、典型的な国家主義的監視システムで、テロ対策に名を借りた、教育委員会ぐるみの国家暴力の強化でしょう。

リアリストのワタシなんかは、お役人には、「かわいくない大人」に分類されているようで、今後もそうありたいと念じています。

話かわって、
「ユース・バジル」という言葉が、いろいろなところで注目されているようです。
『自爆する若者たち…-人口学が警告する驚愕の未来』=グナル・ハインゾーン著(新潮選書・1470円)という本です。
◇テロや戦争の原因は若者の人口増という説明です。
現在、先進国の出生率は軒並み低下していますが、いま悲劇が繰り返されているパレスチナのガザ地区は、2002年の統計では千人当たりの出生数が42でした。
こうした人口数の不均衡から世界の将来を見渡そうとしたドイツの社会学者ハインゾーンは、「ユース・バルジ」という現象を手がかりにテロや戦争の原因を解明しようと考えました。
ちょっと昔いわれていた、「人口爆弾」という考え方を、ていねいに説明しているみたいです

バルジとは世代別の人口グラフのうち外側に異様に膨らんだ部分を指す言葉で、ユース・バルジとは過剰なほど人数が多い若者世代を意味します。
パレスチナやアフガニスタンは若い世代に行くほど末広がりのピラミッド状になっているのに、日本では60歳前後(安保世代)の団塊の世代が異様に外へ張り出す変形釣鐘に似た様を呈しています。

1950年から2008年までの間に、ガザ地区の人口は24万から150万に増えており、この間の増加率を1950年当時の日本の人口8300万にあてはめると、現在の人口は1億2千7百万でなく、5億2千万になると仮定できるそうです。
すると、現在の少子高齢化状況での平均年齢の44歳でなく、15歳ということになり、15歳が支えるピラミッドはまさにユース・バルジというにふさわしく、産業もなく失業者にあふれるガザはじめパレスチナの窮状も理解できてきます。

著者は、この15-29歳の世代を「戦闘年齢」や「軍備年齢」と呼び、過去に戦争やテロを起こした原動力だったと強調します。

このユース・バルジを「軍備人口」や「戦闘に最適な年齢」と呼ぶのは、歴史の上ではいくつかの核心をついています。
たとえば、この世代の存在は1500年から1914年の間にヨーロッパの人口を6千万から4億8千万に押し上げた力でもあったのです。
で、一般に4人の息子がいる家族では2人くらいはどうにか両親の家に近い場所で仕事を見つけられても、あぶれた他の2人には6つの道くらいしか残らないというのです。
それは、(1)国外移住、(2)犯罪、(3)国内クーデタ、(4)内戦または革命、(5)集団殺害と追放、(6)越境戦争、です。
ヨーロッパの国民たちはユース・バルジの問題を、海外植民地の獲得や征服戦争の勝利などで無理やりに解決しようとし、1918年までに地上の10分の9の面積を支配したというのです。

今、アフガニスタンには、女性一人あたり7人の子どもがおり、隣国のパキスタンにも4人もいるというのです。
「文明の衝突」を唱えたハンチントン自らも晩年には、暴力の担い手になるのはどこでも若い男性であり、イスラム世界は「若い男性であふれ返っている」と強調していたそうです。
その以前でさえ彼は、宗教や文化よりも、「驚異的な人口増加率」によってイスラムの復興が支えられていると指摘していたようす。
今、手詰まり感のある、ガザやアフガニスタンやパキスタンの不安定な政治情勢を理解する手がかりになる本として、注目を集めています。

振り返ってみれば、1960年と70年をピークに、その後、急速に勢いをなくした日本の学生運動も、こうしたユース・ハジル現象の一種とも見えてきます。

日本史上でも、平安末期からの、弁慶に代表される僧兵や武士といった、暴力的若者の台頭。
とりわけ鎌倉末期の北条得宗政権の専制は、分割相続ができなくなった武士階層の所領不足への、総領家の防衛体制といわれています。
鎌倉幕府の崩壊も、元寇後の恩賞として与える土地不足ともいわれています。
さらに南北朝の動乱から、とりわけ戦国時代の、日本史上まれに見る100年間の戦闘エネルギーの高揚は、こうした社会動態の流れを抜きには、説明できません。

室町から戦国にかけての、倭寇の海外侵攻。
信長の家来として活躍した秀吉や家康の重臣たちは、その初陣は10代半ばでした。
そして統一後の、秀吉の朝鮮出兵や刀狩。
戦後の歴史学界の、冷戦代理戦争じみた、不毛なイデオロギー闘争のおかげで、具体的な統計数字はつかめませんが、このユース・バルジを想定させるエピソードは、いくらでもあります。

むしろ、江戸幕府の幕藩体制と鎖国による国内安定こそ、不思議に思えるほどです。
強いて言えば、信長時代、鈴鹿峠で鉄砲運搬の人足が凍死しており、かなり寒冷化があったのかと、想像できる程度です。

世界史上でも、ローマ市民社会の少子化など、多くの民族移動の誘因が、こうした社会動態の論理で説明できそうです。
明治から大正にかけての、「生めよ増やせよ」のスローガンが、富国強兵政策につながったなら、戦後の少子化は平和運動なのかもしれません(苦笑)

ついでに、
資本主義が、国内経済の仕組みとして成り立つには、2億人の人口が必要という説明をきいたことがあります。
で、最近は、自爆したアメリカの新自由主義経済に追従した、日本のA級戦犯の経済学者の懺悔本が出回っていますが、彼らのひとつの説明は、国際取引での基軸通貨(ドル)の適切な供給を、アメリカが自国の利益を優先して、過剰供給したのが原因だとか。
要するに、先週指摘した、新自由主義とネオコンの国家簒奪戦略は、ありあまる資金にものを言わせて、日本の優秀な経済学者の頭脳も、汚染していたということでしょう。

自分が、アウトサイダーだからいうのではありませんが、専制政治のような小泉人気の高揚に見られる人心の荒廃だけを見てても、「わかりそうなもの」ではなかったかしらね。
バブル崩壊だって、数年前から、予兆はあったはず。
ワタシのここ10年間の愚痴は、すべてこの事件簿に残っていますので、過去にいかにワタシが、コイズミ・イズムへの警告と、それへの弾圧と闘っていたかは、いちいちあげませんが、記録は残っています。

航空数学を使って金融詐欺商品を開発した、モラルハザードのチンピラ経済学者に、「庶民がそれぞれの分野で努力を重ね発展した平等な日本社会を取り戻したい」などと、いまさらながら言われたくないすね!
自分が得意になって主張していた理論が、どれほど多くの庶民や子どもの生活を追いつめ疲弊させたのか、聞いた風な学者言葉で、ごまかしてほしくないです。

なまじお利口なくせに、感性が腐った曲学阿世の学者は、原爆作った学者と同じで、バカな政治家より、始末に悪いってことです。

日本人というのは、どこまでお人好しなのか、こうした学者たちの本が、版元によれば、「功なり名を遂げた60代の経済学者が、素直に誤りを認めたのはすばらしい」と、30~40代の男性読者から、激励の手紙まできて、売れているんだそうです(笑)
現代の国際金融経済の世界は、個人の力でどうにか出来る世界でないことは百もわかりますが、こうした権威主義こそ、本当の「個人の精神の疲弊」じゃないかなあ。

だれかが、「壁にタマゴをぶつける行為」というセリフを吐いてましたが、ワタシがどっちに立つといえば、「自分たちがどうコケにされたかの本を買って感激する派」ではなくて、「タマゴ派」でいたいですね。




  1. 2009/03/09(月) 00:00:00|
  2. 今週のスクラップ
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今週のスクラップ・ブック 03/02

アメリカの
キリスト教原理主義と新自由主義経済のむすびつきは、多民族国家のためか、膨大な資金を背景とする長期的思想戦略の結果でした。

日本もマネッコして、小泉時代、安部幹事長のもとで、数億円使ってタウンミーティングとかやってましたが、結末は、あやうい郵政民有化でした。

小泉は、思想が無いから、中国・韓国と敵対して、「統一民族幻想」に酔いたい国内のネトウヨたちの人気集めを、演出しました。
mixiも、彼らの差別的暴言を放置したという意味では、その責任の一端はあります。
で、あの勢いなら、憲法改正もありえるかと心配しましたが、お友達を集めた右翼ちゃんゴッコの安部政権は、あっけなく投げ出しちゃいました。

これを「新自由主義と保守主義の矛盾」と考えるヒトがいます。
「勝てば正義」の新自由主義には思想は不必要で、世襲政治家でもこなせますが、保守主義となると、いろいろな伝統を、今の国民のニーズに合わせながら統合する力量が必要です。

小泉は思想以前だったので新自由主義の手先にされたし、安部は日の丸の小旗をふっただけでした。

で、福田は、環境や中国重視のアジア外交など、方向は評価されながら、根がKYなので、経済的混乱を予見できずに、洞爺湖サミットを自画自賛しただけで終わりました。

じゃあ、麻生クンですが、外交で支持率浮上はないでしょう。
アキバのオタクたちを中核とする「国民的人気」も、あてにならないみたいだし。

国家を簒奪したネオコンの思想資本主義のような戦略を持たない日本の保守政党は、公共施設に群がるゼネコンや、せいぜい戦争遺族や新興宗教団体を基礎票にするだけで、後は冷戦時代の名残で、日教組への呪詛ぐらいでしょうか。

例の「封建性論争」なんですが、中身の無い抽象論の代表が「封建制論」で、しかもそれがまた蒸し返されようとしているようで、ネトウヨ・ネトサヨを排出した、日本の学者やマスコミの体質がうかがえるようです。

現状の封建制論は、90%ほどは整理したのですが、そんなわけで、最終のまとめ段階で、正直、少しつまらなくなってます(苦笑)


で、
麻生首相の盟友・中川クンもお粗末でしたが、こうゆう政治家が多いです。
笹川 堯自民党総務会長は、自分の森内閣の沈没を、えひめ丸の事故が原因であっるようなことをいっています。 
こうゆう自己チューな世襲政治家しか、自民党にはいなくなったのですね。

ナベツネが、自民党の権力闘争は、嫉妬 とコンプレックスで動いているといってたけど、そうゆう植民地政治家(ホワイト・ドッグ)のコップの中の嵐は、まだまだ続くんでしょう。


  1. 2009/03/02(月) 00:00:38|
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元・学園長

Author: 元・学園長


ここを執筆する 元・学園長 ですが、還暦はとうにすぎているのに、最近、江戸 手描き友禅 の修行もはじめました。

ここの絵は、当時小学4年生の男の子が描いてくれた絵です。
下手な写真よりも、はるかに元・学園長の特徴をつかんだ、観察力と表現力なので、今でも大切にしています。

はじめての方は、引越しソバ代わりのおみやげもありますので、下記をご覧ください。
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