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あかつき 事件簿

学園長の 身辺報告や雑感を 週刊誌風にまとめたものです

今週のスクラップ・ブック 02/23

中川前財政大臣の
家の中から、
「がんばれ! がんばれ! 日本一!」
って、声をかけた女性は、奥さん? お母さん?
■昼食で「少量のワインを口に」と認める…会見問題で中川氏(読売新聞 - 02月17日 11:00)
前に守屋前防衛省次官の長女が、押し寄せる取材陣に水をまいてたけど、いまどきめずらしい「家族愛」とは、だれも賞賛しませんねえ。
むしろ、「不思議な家族」ぐらいの受け止めなんだろうか?

自己愛妄想の、「家族依存」による「家族内汚染」とでも、捉えるべきなんだろうか?

うちの奥さんなら、「自己責任!」って突き放されるので、別にうらやましいとは思わないけど(苦笑)

その後の、中川氏の辞任迷走劇も、自分がしたことの現実見当識にズレがあることを、しめしてます。
政治家特有の、自分の立場を守るためのレトリック(例えば、麻生首相の「体調がわるかった」)が、彼らはそれを口にしているうちに、本当に彼らのなかでは、そのまま政治状況認識の現実と認識されているようです。
こうしたレトリックの乱発は、それが政治家の言動といえ、こうした現実とのズレを見せ付けられると、振り込め詐欺なみの口吻として、政治全体への信頼性を損なうことになります。

><中川前財務相>会見前の昼食時、自らワイン注文(毎日新聞 - 02月19日 13:01)
随行していた、中川の中学高校時代の竹馬の友とかの財務省・玉木林太郎国際局長とか、慰労会の音頭をとったとかいう読売の越前谷知子記者(読売HPからプロフィールが消えてるとか)とかの陰謀説が流れてますが、その後は観光だったとか。
中川や玉木の国会答弁の顔色を見ててても、「ごっくん」したとか、「わからなかった」とかで、コンパでハシャギ過ぎた中学生みたいに見えるけど。

マスコミの印象操作もヒドイですが、ニュース・ソースの政治家がそうですから、似たようなものということでしょう。
小泉本人も、マスコミも、いまだに小泉神話があるようですが、これもまたマスコミ特有の現実見当識のズレです。
「かんぽの宿」の売却は、いろいろ疑惑が残りますが、結局はツケは国民にまわってくるだけなわけです。

こうした
政治家やマスコミの見当識のズレは、苦痛から逃れるために白日夢やゲームに逃げ込む「解離」とは違う、「自己愛性の妄想」でしょう。
おそらくベースは同じでしょう。
世にいう「老人力」とかいうのも、これに近いようで、若い世代だと「鈍感力」とか呼ばれてます。
こうしたヒトたちは、やたら教育に口出ししたがるのも、「支配妄想」を紡ぎだす、解離を生み出すような、劣悪な育ちに起因するトラウマの存在をうかがわせます。

一方で、「KY(空気が読めない)」という流行語があるように、やらた周囲の思惑に気を遣う「弱い自我」があるかと思うと、一方では、こうした「KY」が、のさばっています。
ヒトはその両極に、偏存します。

中川氏の家人の掛け声が示すように、中川氏は本来は「神経質で、それで酒に頼った」という噂もあります。
わりに親しい知人に、やたら気丈な母親に育てられた、ゼネコン営業マンがいました。
中川氏ほどはひどくなかったですが、会社の朝のミーティングなんどは、彼の抜群の営業力で、支店長命令で、免除だったとか(苦笑)
自己愛性の妄想は、多少ありましたが、現実見当識には狂いはなかったし、KYでもなかったですけどね。
しかし彼は、アルコールが加担した妄想で事故に巻き込まれ、結局、今は寝たきり状態ですけど。

現代の民主主義政治が
客観的な論理構成で組み立てられている ということが、「迷信」にすぎないということは、小泉の構造改革やブッシュの単独主義政治でも、あきらかです。

今回の経済恐慌も、広い意味でアメリカの「儲けすぎ資本家」の妄想に、世界が飲み込まれた結果です。
日本の銀行も、こうした「儲け妄想」には、「懲りない」体質みたいです。
去年の暮れあたり、「日本は、バブルを経験しているから、大丈夫」といっていた政治家も、「GDP(国民総生産)急落」を示す「遅れた答案」を前に、「このままだと底抜け」するかも」と、深刻な顔になってきたみたい。
こうした「今更」のセリフを聞くと、これが日本の「経済通」を自認する大臣かと、耳を疑います。
かつて「アメリカが無いというから、非核三原則は守られている」と主張していた、与党答弁と同じで、独自の情報分析などは思いもつかないヒトたちなんです。

クリントン国務長官は、よほど身勝手な要求を突きつけてくると思ってましたが、さすがに恐慌が「アメリカ発」ということもあってか、出だしはおとなしいようです。
よほどヨーロッパからは、評判が悪いのかしら?
ドサ回りからはじめて、わずかな味方にしがみつくという感じでしょうか?
同盟国関係が、「対等」なものに進化するよいチャンスなんですが、美人記者に篭絡されたり、「引退」を宣言しながら、急にいろいろ言い出すような日本の政治家には、どこまで出来るでしょうか?

奥さんの「がんばれ! がんばれ! 日本一!」の掛け声がないと、家も出れない政治家ばかり育ててきた自民党というのは、もはや落城ですね。

大昔、大阪城の攻防で、気丈に突っ張っていた淀君が、天守閣に打ち込まれた一発の大砲の玉で、すぐに和平工作に入り、身の保身を妄想的に考えた話を思い出してます。

日本のバブル崩壊後の自民党は、そうした白日夢にまどろんでいた気がします。

問題なのは
こうした精神風土が、いたるところで噴出していることです。
20年ほど前、コンビニの前でしゃがみこむ日本の中学生の姿を、外国のカメラマンが「未来型の不幸」と呼びました。
今、それがいたるところに、「規範喪失」の形で、蔓延している気がします。
とはいえ、われわれの未来は、こうしたパンク・ロックのような世界からしか、出てこないんですけど。

政府官邸の背景絵画は、
>■外交の舞台に適さず?平山画伯の絵に自民会議で批判の声(読売新聞 - 02月19日 05:03)
戦前からの、絵画業界での、日展系御雇絵師の権威主義の象徴です。

60年以上も前の敗戦直後、1946年の『中央公論』2月号は、敗戦の原因を「封建制」に求め、天皇制や家族制度での「上下の垂直的な関係」だけでなく、「政治と各社会分野との横断的水平的な関係」、つまり「経済・社会・教育・文化・芸術等の各界の政治界にたいする関係が非民主的な封建的割拠関係であった」とアンシャンレジュームを総括して、「封建制」を批判します。
しかし絵画界では、文部省はこの体制をそのまま残し、「マッカーサーと天皇の抱擁」体制のなかで、業界もまたこれに迎合します。

現代版の「神国日本」の正体ですね。

で、バブル期、政治献金の手形代わりに、絵がやり取りされたのも、その象徴です。
この体制を、戦後も維持してきたのが芸術院会員制度で、有名デパート系画商がそれを支え、日展はその中核的作品供給の権威主義集団でした。

塩ジイに働きかけて、評論家に「ゴミ展示場」と揶揄された第二国立美術館をつくったのも、平山さんたちでなかったかしら?
こうゆう話が、ニュースやmixiに出てくること自体が、「なぜ、今?」と驚くなほど、業界では公然の秘密ながら、一般にはディープな話です。

今、実際に飾ってある絵は、政府の買い上げではなくて、確か「無償」で政府が借りてるだけですけど。
貸し出す芸術家は、芸術院会員になるために、有力政治家とツルンで、3億円、4億円の根回し資金が準備できるヒトたちですから、文句いうヒトはいません。
政府高官のぶら下がり会見やレセプションのたびに、TVに背景として映るのですから、絵画芸術界では、権威の象徴であることは、間違いないです。

「ふさわしい」「ふさわしくない」と、絵などわからない政治家が、偉そうに文句いうのも、こうした戦前の「業界支配の封建制」が、いまだに生きている世界だからです。

とやかくいうなら、いっそのこと、1週間交代とかで、全国の子どもの絵でも飾ったら、国民も元気が出るんじゃないかな?
ネット投票とかも、ありえるだろうし。

この
わたしのmixiカキコミに対し、「神話」の世界に閉じこもっているから、北方領土問題も、解決しないんじゃないか」というコメントをいただきました。

それへの感想は、以下です。
********

芸大系エリート芸術家とか、世襲政治家とか、「マッカーサーと天皇の抱擁」からスタートした、現代版「神国日本」システムに適応できたひとたちにとっては、「神話」は、自分の権威の源泉として、アイデンティティーの柱になっているかもしれませんね。

そうした価値観が、現実見当識をゆがめてしまうのは、今回の中川前財務大臣の醜態で中川・麻生の盟友コンビが演じた辞任迷走劇でもそうですが、多くの政治家やエリート財界人や天下り官僚たちの言動にも、よく見られます。

まるでマリー・アントワネットが、「パンをよこせ!」と押し寄せる民衆に、「パンがないなら、ケーキを食べればよいのに」とつぶやいた話と同じです。
ガッコのセンセにも、こうゆう「生徒をガッカリさせるセンセ」って、ときどきいますよね(苦笑)
悪気はないのですが、ズレてるんです。

地図というのは、世界観のあらわれでして、かつて超一流私立中学の受験を志望する小学6年生200人に、「友達を自宅に呼ぶのに、最寄の駅から自宅まで案内する地図を、描いてごらん」という設問を、4,5年間続けても、描けた子は数人でした。
大人でも、まったく現地を知らないヒトを相手に、相手の立場にたって、電話で道順を説明できるヒトは、かなり優秀な方です。
最近の企業の受付嬢では、自分の会社の場所を、電話で説明できるヒトには、まず一流企業でもめったに出会いません。

政府官邸が、神話世界に埋まっていること自体、世界観の貧しさ、自己愛妄想への埋没を、示していることは確かかもしれません。

ブッシュ前大統領や当時のアメリカの政府高官は、「アフガニスタンがどこにあるかも知らないで、軍隊を派遣した」といわれてますもの(苦笑)
わかっているのに放置されてきたサブプライムローン問題も、そうゆう気配が、ベースにありますよね。

聞きかじりですが、
ギリシャ語の「ピュブリス」というのは、人間の思い上がりや過信、傲慢を意味するそうで、古代ギリシャ人は、彼らの「悲劇」の中心にこのピュブリスをすえたとか。

人間の主人公が運命に逆らい、神と争いながら、最後は神に復讐されるというのが、ギリシャ悲劇なんだとか。

悪名高いナベツネ氏は、戦後の政治の流れをよく身近で見たそうですが、彼によれば、権力闘争の流れは、イデオロギーや政策論争ではなくて、憎悪や嫉妬やコンプレックスだったとか。

小沢の自民党・離党から15年。
ナベツネ氏の目からは、今の政争は、旧田中派七奉行の、最後の怨念の残り火に見えるのかしら?
だから、「大連合」構想だったのかしらね?

で、コイズミの「麻生憎くし」は、なにかしら?
どっちにも、ピュブリスが、はたらいてないかしら?

国民不在とかいても、虚しく聞こえてきますね。
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  1. 2009/02/23(月) 00:00:00|
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今秋のスクラップ・ブック 02/16

焦土作戦
防御側が、敵が領内に侵攻する前に、利用価値のある施設や田畑を焼き払って、価値をなくす戦術のことです。
ロシアに侵入したナポレオンは、冬将軍とこの焦土作戦に、破れます。
パリを撤収する際、ヒトラーは「街を焼き払え」と命じますが、実現しませんでした。

今、永田町で、各種世論調査で、次期衆議院選挙での敗北を予感する与党は、新政権に埋蔵金を残さないために、景気対策に、大盤振る舞いの
予算を組んでいるとか。

「政府紙幣」構想といい、なにやら「まとも」とはいえない昂ぶりが、永田町に流れているようです。

小泉時代、当時の安倍幹事長が、湯水のように資金を使ったタウンミィーティングといい、閣僚が「無い」といっていた「埋蔵金」といい。
節度を失った権力亡者たちが、派遣切りを生み、「オレオレ詐欺」の若い兵隊を作り上げていきます。

あと10年もすると、老人の預貯金をオレオレで掠めて、「羽振り」の良さだけが取りえの暗い目をした青年実業家が、跋扈する時代がくるのでしょうか?

かつて政治資金調達に、ホリエモンを担ぎ上げた与党幹事長がいました。

冷戦時代、対ソ・対中の不沈空母として、嘘っぱちの「非核三原則」を唱えながら、アメリカの前線基地を支えた55年体制の与党は、もともと国民のことなど考えていなかったわけです。

「世界で2番目の経済大国」と威張りながら、3流・2世政治家集団に、政治哲学は求めようがないということでしょう。

皮相の泡の流れの奥に、どんな流れを見たら良いのか?

こゆうときこそ、温故知新で、老人の知恵が生きなければいけないんでしょううが、なにせ浅学非才。
なかなかアイでィアは浮かびません。

まあ、浮かんでも、相手はされませんけどね(苦笑)

自民党の55年体制
は、日本の社会主義化への危機感から生まれました。
しかし89年のベルリンの壁が壊れてソ連の崩壊し、35年に及ぶイデオロギー対決に決着がつきました。
その後、20年。
自民党は、アメリカの核の傘の下でヌクヌク過ごした夢にまどろみながら、派閥抗争のなかでの、キャッチボールのような擬似政権交代で、国民の不満を吸収し、財政バラマキの維持継続で、生きながらえてきました。
「非核三原則」のウソなどは、その代表でしょう。
で、その結末が、膨大な財政赤字と、最近の「小泉郵政怨念政権や投げ出し政権」です。

昨日、永田町に流れる「焦土作戦」の噂を、一晩過ぎて思いなおすと、明治維新・終戦についでに、「第三の開国」が来ていることを、感じます。
まるで、沈没する船から逃げ出すパニックに襲われたネズミが、最後のチーズをむさぼっているようです。
「埋蔵金」「政府紙幣」「焦土作戦」といった、きな臭い話題は、そうした肌を粟だたせたネズミたちの、パニック妄想が動機でしょう。

しかし、今は次の国家アイデンティティーを探さなければいけないときです。
で、ここ数年は、いくつもの旗が立てられれ、シャアフルが続くでしょう。

次の選択の対立軸は、

*国内外の市場メカニズムと、どう対峙するか
*地域社会なのか、会社社会なのか
*豊かさなのか、平等なのか
*武装化なのか、平和外交なのか
*護憲か改憲か
*アジア近隣諸国と、どうつきあうか
*対アメリカ、対中国、の関係をどう構想するか
*少子高齢化のなかで、中福祉中負担でよいか
*イデオロギー抗争と自由市場化政策で、国民を幼稚化にひずませた教育システムを、どう立て直すか

ある意味で、「新しい資本主義国家の模索」ともいえます。
こうした課題に、自民も民主も、それにツルンんだマスメディアも御用学者も、まだ新しい視点は、断片的にも準備できてません。

ここ数年は、次の国家アイデンティティーを探して、いくつもの旗が立てられて、揺れ動くでしょう。
その結果が、痴漢的ナショナリズの熱狂になるのか?
穏当な線に収まるのか?

ワタシは
政治家ではなく、若いころ歴史研究者として、不毛なイデオロギー抗争に愛想をつかせて、研究をやめたヒトリにすぎません。
もっと正確に言えば、「自分の言動が社会を動かし得る」と思えるほど、ワタシには自己愛妄想が育ってなかった ということですけど(笑)

今、還暦を過ぎて、改めて歴史家の「封建論争の整理」を切り口に、「戦後」を振り返ってみて、改めて「自己愛構造体史観」といったものを構想しています 。

******

予感を先に書きますと、カギは、「自己愛構造体の成長」にあるように思います。

イメージとしては、理念型としての「村落共同体」がかつて果たした、通過儀礼という「個人の成長」のプログラムを核とする、生活共同体のイメージです。
リサイクルや温暖化対策は、地球規模の課題のなかでの、「国家・地方」の地域共同体イメージを作りやすいでしょう。

ただし、カギの重心を間違えると、「地球家族主義」は、かつてのイデオロギー論争と同じように、精神の疲弊につながります。

********

とりあえず、ワタシなりの「封建論争」の整理を通じて、「イデオロギー論争の不毛」と、そこに見える「自己愛構造体の未熟・妄想過程」を、整理していくつもりです。

それが、「何になるか?」は、あえて問いません(苦笑)
還暦過ぎた男の、「冥土への一里塚」ですから。

* 「自己愛構造体」似ついては、yahooを検索すると、ワタシの大昔の「事件簿」が最初に出てきます。
http://www2p.biglobe.ne.jp/~suginoko/index0401021.html
http://www2p.biglobe.ne.jp/~suginoko/index0401020.html

どうして、ここだけがピックアップされたのか、良くわかりませんが、まあ、くわしく調べたい方は、参考にしてください。


概念図としては、

             「自己愛構造体」

            /        \

    「妄想ー分裂態勢」 ← →  「抑うつ態勢」

です。

自己心理学は人気が高く、当然、「妄想ー分裂態勢」の強いヒトは、最後はオカルトに発展するヒトがいるくらいです(苦笑)

誰もまとめてくれないので
気になっていたのですが、「世界のトヨタ」の急速な凋落は、アメリカの自動車会社の凋落と同じペースです。

となると、サブプライム・ローンと同じで、所得証明がないままに、書類を埋めればローンが借りられて家や高級車が持てたシステムと同じことを、「世界のトヨタ」は、やっていたって、ことですか?

このシステムの国際普及版が、新自由主義市場経済だったって、ことですか?

そしてこうしたカセギを、麻生首相は「シノギ」という、ヤクザ言葉で表現したわけですか?

このシステムの崩壊を「百年に一度の経済不況」という呼ぶ意味は、なんなのか?

そうした「内部に植民地を抱える帝国主義」の意味を、われわれは反省できているかしら?

先日、田舎の電車のなかで、観光地にむかう旅行客らしい身奇麗な女性が、夫らしいヒトに「まさか世界のトヨタが、あんなになるなんて、信じられない」とつぶやいてました。
そこだけ、小耳にはさんだだけですが、それだけ中堅富裕層に「世界のトヨタ」神話は、支持されてたんですね。

しかし山奥に住む老人は、アホを食い物にする円天や、年金生活者をエジキにするオレオレ詐欺のシステムを眺めながら、「どこが違うんだろ?」って、思ってしまうのですが。

そして一方、エリート官僚たちの自己愛妄想や、振り込め詐欺をビジネスとして主催する若いヒトたちの荒廃を見ていると、これが「カスバの荒廃」かと、改めて目をこすってしまいます。

何がおかしいか?
こうなると、やはり「自己愛構造体」に発展性がないことが、原因だろうと、老人はつい我田引水したがります(苦笑)
最近、民主主義は自己欺瞞で、「義理人情が大事だ」とかって、超・時代錯誤のことを言い出したヒトがいるそうです。
まだ読んでませんが、中央権力の崩壊にともなう、新しい封建主義かな?(爆)

しかし映画『カサブランカ』に見るように、「カスバの裏町」から、EU構想は生まれました。
だからそんなには、ワタシは心配はしてませんけど。

どうやら
「GDP(国民総生産)急落」の仕組みは、日本の先端技術は、アジアにも輸出されて、アジアのアメリカ向け輸出も支えていたので、最大の輸入元のアメリカがコケたので、日本はダブル・パンチを食らったようですね。

言われてみれば、「解っていたことだろう」と納得するのですが、「戦後最悪、最大の危機」といった言葉だけが踊る政治家やマスコミの報道だけでは、首相でさえ、「実は大したことではない」と、認識してたわけです。
政府が、落第点の答案を、後出ししてきたということでしょうが、「迅速ア対策が必要」とみなさんおしゃるけど、的がハズレてれば意味ないだろうし。

せっかくの機会なんだから
■犬にだけは好かれる…“四面楚歌の首相”がポツリ (読売新聞 - 02月14日 11:16)
「盲導犬の目線で」とかって、とやかく揚げ足とりませんから、せめて盲導犬は、「なでたり、声かけたりしてはいけない」ことを、国会なり、ぶら下がりででも、普及させてもらえると、うれしいんだけど。

婆さん子特有の、幼稚な自己弁護ばっかを止めると、少しは支持率が回復するかもよ。

/街で目の不自由な人と盲導犬に出会ったら /財団法人・日本盲導犬協会

前に予告したように、
今、自分の一里塚のために、ある「封建論」の小冊子を整理しているのですが、70%ほど進んだところで、他の仕事に時間を割かなくてはいけないので、来週までしばし作業を中止します。

出来た分だけを公表するよりも、まとまってからここに出します。

それにしても、歴史(広い意味での哲学)というのは厄介な学問で、絵と同じで、作者の思想人柄や、投影同一視といった精神的な癖までも、露わにすることが浮き彫りになってきてます。

学者本人は、真摯に、訓練を重ねた思索を積み上げているのですが、その「真摯な営み」の陰にしのびよる価値観(政治的意図=思索ノートを、書き残し発表するという行為自体が、すでに政治的です)は、どうしてもぬぐえません。

軽薄な脳生理学者などよりも、むしろ「真摯」である故に、かえって巧妙で、罪が深いともいえるかも知れません。

しかも私が抱いた感想は、論証というより、まずは違和感に近い直感なわけで。
初めは少し遠慮も覚えたのですが、地味ながら、一部では定評のある歴史学者なだけに、やはり整理して批判を残しておくことにします。
善し悪しではなく、こうした思想の残り方も、新しいネット時代の特徴でしょうから。

かつてTV全盛期、マクルーハンは「メディアこそがメッセージ」だと、禅問答のような言葉を残しました。
面白いことに、ひとかどの著名な学者の労作が、ネット上で簡単に拾える、ニート的(あるいはコンビニでのバイト的)な、断片的知識をテコにして、簡単に覆されてしまうことです。
これを「権威の崩壊」と呼ぶのか、「権威の拡散」と呼ぶのか、「権威の飽和」と呼ぶのか。
少なくとも20世紀的「知の体系」が、ネット社会というグローバルなメディアの前に、地と模様が入れ替わるゲシュタルト的な転回をしてしまうところがすごいです。

結論から言えば、ここでも自己愛構造体の「病理」(おそらく無意識でしょうが)が、うごめいてます。

世間に流行る歌や映像が、商品としての「わかりやすさ」を求められる故に、独断と偏見だったり、ある現象の物神化された断片だったりするように、学問的営みもまた、「消耗品」としての条件をまぬがれないことを、感じます。

70%整理した段階での、これが私の「予感的結論」です。


  1. 2009/02/16(月) 00:00:39|
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今週のスクラップブック 02/09

気温は暖かいですが
風が強くて、なかなか雪が溶けません(泣)
屋根雪崩も、春の息吹と呼ぶには、少々騒々しいです(苦笑)
昨日、減った分、また上積みされました。

風止めのマジナイでも、やりましょうかね。

ところで日本の魔法は素朴なのが多くて、私は好きです。

例えば、和歌山県南端に残っていた、「風止め法」は、数日間、漁に出れないほど海が荒れると、村人はそろって海岸の高台に登ります。
そして風に向かって、「風よ止まれ!」と念じながら、大声を出します。
一人が疲れると、次が、次が疲れると、また次が。
村人は、普段からの信仰心を総動員して、怒鳴り続けます。
で、風は、いつかは止まるのですから、止まったら、「我々の願いを、神様はお聞き届けくださった!信仰の力だ!」と、改めて貢物を神殿に捧げるわけです。
もちろん不信心者が、一人でもいれば、神様はお許しにはならないので、村人は全員、真剣です。

この方法は、むかし子どもたちをつれたキャンプで実際試したんですが、子どもが30人近くいたので、なかなか良く効きました(笑)

なお、この実験は、悪いことしたお金持ちがマスコミから逃げるために入院する、某・超有名私大医学部のお医者さんの若いきれいな奥ちゃまから、「非科学的なことを教えている」と、厳しいクレームを頂戴しまして、以後、実行していません(爆)

科学というのは、「今、現在、最も確率が高いと信じられている魔法」なはずなんですがね(苦笑)
まああの程度の無教養な手合いを相手に、説明しても虚しいので、ワタシは黙ってしまいましたけど。

で、ベトナムの村では、村長のほかに、風の神とか、雨の神とかの血筋の家が、各村ごとにいたそうです。

こうした仕掛けを組織的にやったのが、日本最大の魔法使いである空海でして、彼は天気予報から土木事業まで、一通りやった上で、さらにこうしたエロチックな魔法を駆使して、日本中を席巻しちゃいました。

山伏の修験道などでは、過酷な修行によるトランスからは、どんな魔法がつむぎだされるのか、言葉にすると空しくなるようで、巫女たちは多くを語りませんが、少なくとも「腐女子の恋」とかには、効きそうですね。

次の3枚の絵は、
bj011.jpg bj012.jpg bj013.jpg
(サムネイルをクリックすると、大きくなります)
江戸時代初期のものですが、左端は、平安末期からの遊女の典型的ないでたちでして、男装の女性図です。
出雲の阿国も、この装束で、人気を得たようです。

で、男女がアイマイになる瞬間に、中世人は神秘を見たようです。

もちろん現代の「腐女子(「ホモ青年の恋愛関係にあこがれる少女」」のことで、「恋心」を抱くのは、「オナベ」といいます)とは、まったく違いますが、精神的「性同一性」の混乱というのは、古代の母系社会が、中世に父系が力をえていく過程で、日本ではかなり流行ったようです。

実は、このアイディアは、日本の資本主義発達の前提になる、「封建制」論の前フリでして、これから奥が深い話の導入になります(苦笑)

ところで、真ん中の絵は、当時の念仏踊りの姿のようで、雪月花という夢幻の美の神秘を象徴しています。
右端は、かむろ頭の少女が、犬と会話しています。
中世では、多くの神の宣託は、子どもの口を借りました。

いずれも踊りながら、非現実の世界と交流している、日本の民俗芸能の原点を示している姿です。

このワタシの
mixi書き込みに、若い学生さんから、
>このカキコミには、今自分が読み終わった本の内容と似たお話があって驚きました。
僕も祈りには科学のような確実性はなくても、意味はあるような気がします。
てるてる坊主は全く子供だましの下らないものかというと、そうは思えません。
僕は小さい頃、遠足や旅行の前日にてるてる坊主を作ったことがありますが、その時の感情はとても純粋だったような気がします。
テレビの天気予報を見て「降水確率は40%か」と思うのとは全然違いますよね。
気象以外にも知人や家族の不幸や悲しみを軽減できるようにと祈ることにも意味があるような気がしますね。

どれも凄く綺麗ですね!
右の写真の犬の表情が特に好きです。
******
とのコメントをもらいました。

以下、ワタシの返事です。
******
絵と祈りは、共通するものがありますね。

日本は仏教美術が、量も質も圧倒していますが、神道美術もあります。

出雲や熊野の那智大社などには、名も知れない職人の手になる、ギリシャ美術に匹敵する美術の断片が残ってます。

テルテル坊主に託した子どもの祈りの素直さを、大人はどう取り戻すかに、苦労しますね(苦笑)
******

宮城県の高校の
一律共学化問題ですが、
>宮城県立高 共学化方針を可決 県教委臨時会 河北新報 2月6日6時13分配信
4月の実施予定を前に、共学化は、収まるところに、収まったようです。

今後の話の進め方としては、当然ですが、「男女の成長の違いにあわせた教育方法」とかに、議論が進むことを期待したいところですけど。

もともと反対派に、そうした視点が、あったのか? なかったのか?

こうした事態から見ても、大きくなっても男というのは、なかなか成長できないことが、わかると思います(苦笑)

だから甘やかして良いということは、まったくありませんけど。

クライエントのお母さんには、
「お父さんが、第一の長男で、息子さんは、2番目の長男ですから、まずお父さんのシツケをちゃんとしないとね」
と良く言うのですが、それでニッコリするお母さんは健全です。

「亭主、丈夫で、留守が良い」
というのが、やはり家族円満の秘訣なんです。

定年退職した亭主の、定年後の社会・家庭適応は、あまり言われてませんが、結構厄介なんです。

定年退職後、3年以内に亡くなる方が、きわめて多くて、組織的な問題になった職種の話は、前にしましたよね?(苦笑)

それにしても、
2001年3月、教育委員会が、「2010年度までに、一律共学化計画」を決定して以来、何も議論されてこなかったことが、改めて露呈されました。

その結末も、教育委員6名が、3週間前まで「3対3」だったのが、昨日は、「5対1」になるというありさまです。

もともと、その程度の認識で、「共学化」を決めたということでしょう。

やはり別学へのこだわりを、「選民意識」でしかないと世間に印象づけた、「梅原市長効果」が大きかったでしょうね(苦笑)
で、しかも「こうゆうバカが生まれる別学なら、もう必要ない」と、2名の教育委員は判断したかもしれません。

かつて50年以上前、一度共学化した県立三女高が、数年して再び別学になった歴史もあり、今後の検証のために、教育委員長は、「常設の第三者機関を設置して、共学化方針などを検証したい」と、自らの役割放棄みたいなことを言い出してます。

それがきっかけで、教育行政に新しい息吹が吹き込めればよいですが、そこに恐竜の脳味噌みたいな梅原レベルが口出しては、またまた意味がありません。

アメリカも含めて、先進国の民主国家は、実際には超エリートの官僚や企業人や政治家が、すべてを取り仕切っています。

それを育てるのが、エリート校なのですが、最近の官僚や政治家を見ていても、かなり中身が怪しくなってます。

みんなが天才である必要はないですが、せめて妄想・私利私欲優先だけは、控えるセンスが欲しいです。
とはいえ、それでは出世できないのかな?

「男はつらいよ」とでも、言いたいのでしょうか?

そうした
怪しい田舎エリートの代表が、最大の教員派閥である教員養成大学です。
彼らは、教育の研究・養成機関として、こうした「共学・別学問題」に、どんな議論の素材やデータを出したでしょうか?

PTAの教育講演会での、一高OB(恥)の副学長の、「ワタシが、教員の人事権を握っているんだ!」に終始した演説は、教育行政の惨状と瘴気を、見せつけてました。

あの教師にして、この教育行政あり なのです。

あれなら、まだ「ねとうよ・ねとさよ」の方が、カワイイかも です。

で、このワタシの
mixiカキコミに、勘が鋭い女子学生から、

>内部は変な所で宗教じみていますね。
というカキコミがありました。

以下、ワタシの返事です。

******
「物神化」というのですが、青年がカッコイ良い車に陶酔したり、オバサンが韓流スターを理想化して追っかけやったりが、代表です。

今、その都度思ったままを口にして、目に見える景気対策を打ち出さない麻生首相に愛想をつかした大衆は、かつての「改革無くして、成長無し!」という、小泉元首相の、なんの意味も無い絶叫政治の再現を望みはじめてます。

小泉構造改革で、多くの「痛み」を与えられたにも、かかわらずです(苦笑)

で、「エリート別学進学校神話」などは、若い中学生や高校生、せいぜい大学生までは、自分のアイデンテティー形成過程での不安の裏返しとして、「熱中したい!」年齢ですから、まだ解ります。

しかしそうした現象が、50、60、70のオジサンたちに巣くっている姿を見せられると、ワタシなんかは、引いてしまいます。
ところが、引いてしまうワタシが、この街では、「変わり者」にされてしまう(苦笑)

ヒトの心は、タマネギのように、いろいろな皮相を重ねています。
しかも状況に応じて、それがモザイク状態で、出没します。
で、タマネギの芯に、トラウマやガキを抱えたオジサンが、こうした物神化現象に、引っかかります。

*トラウマと幼稚性は、深く関係しています。
現象的には、トラウマが幼稚性を引き出したように見えますが、実は逆です。

で、時に大人で、時に子どもで。
それは、自然です。

ただ高度成長時代、日本生産性本部は、旧陸軍の教育方法で、「考えるな! 行動しろ!」の愛社精神を叩き込んで、社員を企業の従順な歯車に仕立てました。
「精神の幼稚化」が、社員教育だったのです!
配偶者もそうした精神を叩き込まれて、企業内での主婦連合は、「内助の功」を要求されました。
これこそが、「組織の物神化」教育です。
このタイプの組織としては、防衛省の守屋元次官の奥さんが、幹部の奥様方を集めた組織が有名です。

現代社会は、マスコミだけでなく、いたるところで、物神を再生産しつづけています。
mixi もまた、そうした祭壇のひとつになっています。

で、10年ほど前、
仙台市の現職市長が汚職で降板したとき、「クリーン市役所」のイメージを掲げて、当時の教育長が市長選に出たとき、市役所幹部は、一候補にすぎない教育長を囲んで、繁華街をパレードしました。
これこそ、「組織の物神化」による、公私混同なわけです。

最近も、市役所の道路や下水工事で、再び談合の噂が出ています。
大人の物神化には、物質的利益が核にあります。

県や市役所が、最大の工事発注者である以上、その精神的吸引力は、すごいものです。
例えば、選挙前には、幼稚園の園長たちがそろって、現職市長の支持表明をします。
理由は、補助金が欲しいからですが、それはすでに既得権として決まっていることで、対立候補でも、市長になれば、よほどのことが無い限り、例年通りの同じ政策に署名するはずなのです。
しかし受け取る側では、「市長の役目」と「人格」が、混同されてしまうのです。

こうして「組織の物神化」から、さらに「個人崇拝の芽」がうまれ、市長や副市長レベルが、「自分の力を過信」し、汚職にまきこまれていく背景が生まれます。

市役所の出入り業者が、他に優秀な技術をもつ会社があっても、なかなか参入できないのは、市長選挙戦段階で、現職市長支持を表明した業者を、役人は排除できないのです。

これは県知事も、同じです。

こうした背景を、そのまま口にできないので、「清潔だ」とか、「教養がある」とか、「同窓生だ」とか、「酒を飲まない」(飲み屋でよく会った前県知事は、「酒を飲まない」という噂で、主婦層の票を集めていました)とか、「礼儀正しい」とかいう、政策や行政能力とは、なんの関係もないことが、評価基準になってしまうのです。

ワタシは、そうした物神を求める、幼稚な精神に、老いた両親を殺されていますから、その恐さは、痛いほど良くわかります。

で、実は、こうしたシステムこそが、長い間、補助金のバラマキで、政権を維持してきた政府与党の、権力構造なわけです。

最近、噂の「政府紙幣」は、ヘリコプター・マネーと呼ばれる劇薬で、景気刺激だけでなく、円の価値を下げて、輸出産業が稼いだ外貨の価値を高めます。

自民党政権が、最後の切り札として、こうした劇薬政策に走れば、いよいよ「政治の物神化」が進むでしょう。

「円天」事件も、宮城県の被害者が、捜査の発端にいたとか。
******

おもしろい話を拾いました
>あなたって便座みたいにあったかい…「愛の悪口」大賞 読売新聞 - 02月06日 09:30
ワタシが思いつくのは、「愛がない悪口」ばかり(泣)

違ったらごめんなさい。
江戸時代のむかしから、この町の接客は、「悪口合戦」の伝統で、有名じゃなかったかしら(苦笑)?

今は見かけなくなった、むかしの時代劇のワンシーンを思い出して、懐かしいです。
これを「名物」ととらえたセンスは、素敵です。

某町の商人は、「愛想悪いくせに、ケチ」で有名とか。
某市のガッコのセンセは、馬鹿ばっかりで、逆に生徒が「ああは、なりたくない!」と、優秀に育っているとか。

水着のお姉さんの微笑で、借金させて、車を売りつける時代じゃ、もうないんだから、こうゆう慣習は、残すべき美徳だと思います。
  
  1. 2009/02/09(月) 00:00:00|
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今週のスクラップ・ブック 02/02

2月に
なってしまいましたね。
連日、マスコミは「世界的な不況」を連呼してますが、駅はあわただしくゴッタガエしています。

人材を「コスト」としか見ないお金持ち以外には、関係ない「不況」なら、よいですね。
もちろん「コスト」にされたヒトは、そうしたシステム造りに協力した政治が、その自己責任で救済するとしてですけどね。

この田舎新聞のニュース
>「政治的圧力」判断割れる 共学化仙台市長の手紙 (yahoo河北新報 1月27日6時13分配信)
>宮城県立高校の一律男女共学化の是非をめぐって梅原克彦仙台市長が、手紙で県教育委員に働き掛けをしていたことが波紋を広げている。梅原市長は「政治介入に当たらない」と主張するが、政治介入・圧力と感じるかどうかは「受け取った方の心証による」(村井嘉浩知事)。教育委員6人はどう判断したのか聞いた。
(以下、略)
*****

大阪府出身の宮城県知事が、「受け取った方の心証による」といったからといって、教育委員会の委員が、「政治的圧力の有無を感じたかどうか?」の問題ではないでしょう。
「反対派」もいるはずの仙台市民を無視して、「多くの県民・市民を代表して」、「準・公務」と称して「仙台市長」の肩書きで、県の教育行政に一方的な立場を表明すること自体を、なぜ問題にしないんだろ?

田舎新聞社には、「市長の不可解な行動」を、「沈静化」しようという意図があるのかしら?

他の記事では、市長の行動を「どうゆう了見か」と切って捨てている記事もあり、田舎新聞社内部でも、混乱が起きているのかも知れません。

こうなると教育行政論争の、トラウマ吸引力は、底無しですね。

もっともそれ以前に、この街は、前市長の初選挙の際、一候補者にすぎない前市長を囲んで(実は前々市長が汚職で任期半ばで失職した後で、急遽、教育長だった前市長が、市役所の威信を賭けて当番したという事情があったことは確かですが)、市役所の現職幹部が繁華街を堂々と応援パレードしたような、もともと驚くほど「公務員の公私混同」が平気な街なんです(泣)

ワタシも「仙台一高OB」ですが、こうした履き違えたエリート意識は、教わった覚えも無いし、校歌にも「矩(のり)をば超えず、守るべし」とありますけどね。

今、色留め袖に、
懸案の松島をデザインしているのですが、遠景の島影のひとつが決まらないで悩んでました。
で、寒いので、横着して、ネットで画像を確かめようとしたら、お目当ての島は無く、upされている画像は、ほとんどが遊覧船から撮影したものばかりでした。

改めて島影ひとつでさえ、通り一辺の印象しか、世間には広がってないことが、わかりました。

前から、地元の若い写真家に、「小舟で一日、湾内をさ迷ったら、良い松島写真集が出来ると思うよ」といっているのですが、信じてくれません(苦笑)

逆に、戦前以前らしい超・古い写真で、ワタシでさえ、「これ、どこ?」と、目をこする写真を、ネットで見つけたりして(笑)

松島は、「東の高野山」とよばれた、中世からの霊場で巡礼地だったわけですが、今は小1時間で廻れる遊覧船が、かえってわれわれの目を、くらませているなあと感じた次第です。

描くものに、神業の造型の妙の一端でも表現しようとした思いは、数万年前の洞窟壁画時代からあったことなんですがねえ。

松島には、
280個からの島々があり、縄文の遺跡も広く分布しています。
荒々しい火山の赴きも、秋の紅葉の千篇万化もありませんが、それとも違った静かな海の広がりに、1万年近く、人々は魅せられてきたのでしょうか?

正直いって、確かに、一目で見渡すには、茫洋としすぎて、ポイントが絞れないことも、事実なんです。
それだけに、デザインするにあたって、どこをどうとらえるかが、案外にムズカシイことはたしかです。

戦前、国民意識高揚のため、国は全国の観光地に著名な絵描きを派遣して、その美しさを絵にとどめることを奨励しました。
松島もまた多くの芸術家が訪れていますが、「名物に旨いもの無し」のたとえどおり、正直いって、あまり成功したヒトはいないようです。

何人か、これはと思う絵は、むしろ人口に膾炙した景色を外してます。

記憶に残っている絵
に、戦争画で有名な芸術院会員・中村研一(もちろん故人)の、6号ほどの小さな絵があります。
たまたま親父が中村氏夫婦を案内して、スッケチに出かけた際、子どもだったワタシも一緒についていったのですが、このときの絵が、今でも印象に残っています。

今、その絵は所在はわからないのですが、写生ですから6号ぐらいの小さな絵で、観光ルートの島影を、海岸から、つまり「裏側」から描くことで、海そのもののヴォリュームと迫力を描くという嗜好で、凡百の絵描きには思いもつかない発想と構図で、まさに天才画家ならではの技量を見せ付ける絵でした。

われわれは、丘に登ったときなど、目の錯覚のように、遠景に見える海が、壁のようにそびえる光景に息を呑みますが、あの不思議な感覚がそのまま絵になっているのです。
テクニックとしては、安井曽太郎などが人物画でよく使った、中二階から人物を見たように描く、遠近法のデフォルメなのですが、この手法は、恐らくフランス印象画から黒田清輝あたりが輸入して、上野の美術学校に伝えたもののようですが、奥行きの無い平板な画風が流行っている最近では、あまり見かけません。

つまりこの中村氏の松島の絵は、島を描くことで、強いて描くものがない平板な海という空間に、ヴォリュームを与えているわけです。
子ども心にも、「すごいオジサンだ」と、感心したことを覚えています。


たまたま上野で薫陶を受けたうちの親父は、その静物画のテーマは、「存在と空間」でした。
描かれた物と物との間の空気に、光や湿度や温度を与えようというものでした。

しかし努力家の彼をしても、いつも必ず成功したわけではありませんでした。

それにしてもワタシも、あの中村氏の香りだけでも、再現してみたいですね。

実は、そうした目で、ワタシの作品を見てくださる方もいて、失われつつある技法なだけに、内心、うれしいです。







  1. 2009/02/02(月) 00:00:00|
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カウンタ

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元・学園長

Author: 元・学園長


ここを執筆する 元・学園長 ですが、還暦はとうにすぎているのに、最近、江戸 手描き友禅 の修行もはじめました。

ここの絵は、当時小学4年生の男の子が描いてくれた絵です。
下手な写真よりも、はるかに元・学園長の特徴をつかんだ、観察力と表現力なので、今でも大切にしています。

はじめての方は、引越しソバ代わりのおみやげもありますので、下記をご覧ください。
引越しのご挨拶

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