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あかつき 事件簿

学園長の 身辺報告や雑感を 週刊誌風にまとめたものです

今週のスクラップ・ブック 11/25

先週は、
親父の絵とアトリエ再現の展示会が、塩竃であって、その準備やスピーチで、忙しくしてました。

絵の展示だけですと、絵の配置を指示するだけで、後は仕事としては、感謝と作品解説のスピーチだけなのですが、「アトリエ再現」となると、現場をしらない余人には任せられないので、手間がかかりました。
会場は、塩竃神社東参道の入り口付近の旧・亀井邸です。
大正建築のレトロなたたずまいで、親父のランプ・コレクションが、ネライ通り良く似合ってくれました。

特に風景画は、塩竃や松島の、夏なお冷たいみちのくの光が描ける親父でしたので、塩竃の昭和を再現できて、良かったです。
こう書くと、ただ古いモノだけを並べた博物館に思えるでしょうが、そこはマジメに描いた絵ですので、息子が言うのも変ですが、新しい観光資源としてのパワーを感じました。

もともと絵には、「気韻を描く」といって、描かれた対象の形だけを映すだけでなく、そのまわりの空気や湿度や温度や風といった、目に見えないモノが、どこまで描かれているかを、評価基準のひとつに日本人は持っていました。

その点では、もともと東京の山の手のお坊ちゃん育ちだった親父にとって、この港町・塩竃への疎開が、その画境にきわめて大きな影響を与えていたことが、今回、改めてみえてきました。

つまり、塩竃の街に100年近く溶け込んできた大正建築の亀井邸宅に、当然ですが、親父の塩竃を描いた絵が、ドンピシャリと、ハマッていたわけです。

会場には、わざわざワタシが描いた作品の帯をしめてお越しいただいたお客さんまで現れて、親子2代にわたってのファンには、改めて感謝した次第です。

先週の世間は、
田母神発言やら、ハワイのミサイル発射実験の失敗やら、「太郎 VS 一郎」のガキの喧嘩やら、いろいろあったようですが、われわれ田舎者は、政局ごときにウロウロしないで、地面に足をつけて生きるすべを学ばないと、「官僚への怨み妄想」とかで、わが身の位置を見失います。

1896年ギュスタープ・ル・ボンが『群集の心理』で描きだした、当時政治に進出しはじめた労働者階級もふくめた「大衆」の政治的特徴は、すでに100年たった今、現在の、mixiやYahooに見かける「ネトウヨ」たちの言動と、ほとんど変わりがありません。

例えば、
1 匿名状況に入ることで、社会的抑制が低下し、過激で、かつ攻撃性も増す。
2 同質性が高まるため、他人からの暗示をうけやすい。
3 情緒的な訴求が、論理的な示唆より単純であるために、受容されやすい。
4 情緒性が高まるために、論理性や抑制力を失い、批判や論理の場が少なくなる。
5 匿名性が高くなるため、責任感が分散し、無責任体制につながりやすい。

こうした特徴は、mixiやYahooやBlogといった、氾濫する大衆・落書き論壇の、特徴そのものともいえます。

で、そうした「大衆」を、ル・ボンは、「潜在意識や原始的欲求を、意識的な個性に置き換えている人々の、攻撃性が組織化されたもの」と考えました。

今回の厚生省元幹部と家族を殺傷した事件も、その数日前、奥田経団連会長が、
「マスコミは厚生省を叩きすぎる。CMを出さないことも考える」
と発言したことに、呼応したように、起こりました。
まさかとは思いますが、奥田発言がなかったら、あの奇妙な事件は起きなかったかもしれないとすら、一瞬、思ったくらいです。

一方、日本の首相の選定に派閥の論理が働いたのは、ある新聞記者のレポートによると、橋本竜太郎首相段階までだそうで、小選挙区制への移行にともない、最近では「次の首相にふさわしい人」との「世論調査」に、力点がおかれているとのこと。
ほんの2か月前まで、「国民的人気」などと、マンガしか読まない国家元首をもちあげながら、今では「漢字が読めない・空気も読めない・迷走してる」と、クサスことをメシの種にするマスコミと、そうした記事に脊髄反応するネット社会に代表される、新商品の市場調査よりも少ない、たかだか1000人のアンケート結果で、日本のカジは、危なっかしく右に左に傾いているわけです。

田母神前空幕長でさえ、Yahooの反応を自分の持論の後ろだてに利用したように、学校での体罰も、死刑も、この「世論」を根拠に、政府は頬カブリし続けてます。
このままだと、半年後の裁判員制度の導入にともない、日本は、「リンチ社会」に突入するかもしれません。

こうした事態を放置し続けて
アメリカからも自立できないままに、戦後体制を維持してきた、戦後のインテリたちの責任が、今また問われています。

この60年間、日本の指導層といわれる勝ち組・A層の大学教師は、学生に何を教えてきたのでしょうか?

実は、日本の「風土論」は、戦前は、国立公園の設定も含めて、愛国心の高揚に利用されてました。
戦争画が、戦争を賛美したように、風景画というのも、そうした国策の一端をにないました。
そして今、ワタシは、時代にふさわしい「風土論」を、模索しようと考えてます。

例えば、1929年の世界恐慌以来の恐慌と呼ばれる今回のアメリカ発の世界経済の混乱の中で、「未来の資本主義」のビジョンが、今いろいろ描かれ始めています。
「アメリカ・日本型の自由市場重視」のストレスが高い社会に対して、「ヨーロッパ型共同社会重視」の価値観の違いが、最近の国際金融会議でも浮き彫りになってます。

道州制導入にしても、地方自治の分権・独自性を築きあげるにしても、ここでも、日本のジャーナリズムの「ガラパゴス化」による、思想の貧困が透けて見えてきてます。
単純な比較は難しいですが、ヨーロッパの政治風土を遠目で見ていると、官僚の使い方や、「大衆社会」の「強さとモロさ」への、歴史的に積み上げた深い洞察が、ヨーロッパにはあるように思えます。

少なくとも、小泉独裁を許した「国民的熱狂」のようなマスコミ主導の現象は、ヨーロッパから見たら、「日本人の政治的未熟性」以外の、何者でもなかったでしょう。

18日、親父の展示会オープンの日
たまたまですが、中学時代からの親友の弁護士により、塩竃の町会長や民生員とかを対象とする高齢者虐待の実態キャンペーンがありました。
当然、ワタシは弁護士の応援に、彼の講演会に顔を出したのですが、やっと塩竃のヒトたちにも、ワタシが、どうゆうスタンスで生きているのかが、少し見えてきたようです。

しかしワタシは政治家ではなく、静かな友禅の模様師にすぎません。
ただ人権思想を、都会の流行モノに終わらせないためには、田舎からことを起こさなければ、意味はありません。

たかが人口5万人の町で、隣・近所の老人や子どもの虐待に目が向くことこそ、「田舎生活」の意義なはずです。
市場経済の進行と、格差の拡大のなかで、田舎経済が疲弊しているからといって、田舎の社会資本=人間関係 まで、みすみす壊される理由はないのですから。

もちろんワタシは、とりわけ力瘤を振いたてるつもりはありません。
ワタシは、故郷が、自分の育ちの悪さをむき出しにした、小泉時代のアメリカとの軍事同盟を演出した守屋前防衛庁次官のような、下品な政治思想に染まって汚れるのは、見たくないと思っているだけです。

実はこの前まで、市役所の役人幹部たちは、守屋前次官が故郷に帰るたびに、「郷土の誇りだった彼を囲む会」をしていたんだそうです。
で、今度は、急に、ワタシを「囲まれ」ても、ワタシはそんな大物じゃないですから、困ります(苦笑)
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  1. 2008/11/25(火) 00:00:00|
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今週のスクラップ・ブック 11/17

時代が変わるとき、
それとはっきりわかるしるしがあるわけではなく、お互いに暗転とも意識しないまま、危ない坂を、みんなそろって笑いながら、ころがっていくのが実際みたいです。
>田母神氏、空自の懸賞論文応募への指示を否定…参考人招致 (読売新聞 - 11月11日 10:24)

ある政治家なりイデオロギーが、国民的人気を得て、得意絶頂にいるとき、その危ない気配をスケッチすることは、ムズカシイです。
だれひとりとして、目だって奇怪な動きをしているわけでもないだけに、その存在と陰のブレを指摘しても、本人すら気づきません。

石川淳は、昭和13年「マルスの歌」で、
「ひとびとの陰はその在るべき位置からずれてうごくのであろか。この幻燈では、光線がぼやけ、曇り、濁り、それが場面をゆがめてしまう」
と書いてます。

この解離・離人症的感覚は、近代資本主義社会の、固有の感性なのかもしれないと、最近思います。
実際、多くの近代芸術が、そうした感性から、インスピレーションを受けているように思いますから。

子どものころ、つまらない「やらせ学芸会」とかで、「拍手しなさい」と教師にいわれて、「感激もなしに、どうして、拍手だけ強制されるの?」って、疑問に思ったことがあります。
ヒネクレた子でした(苦笑)

麻生首相は、秋葉原の若者にむけて、
「やぱりモテたきゃ、明るい顔をしろ。明るい顔!」
と演説して、若者たちから大声援を送られていたとか。
麻生氏というヒトは、かつて演説で、「下々の皆さま」と切り出した、選民意識の高い政治家です。
愚弄されながら、その愚弄した相手に拍手を送る若者の、この空ろな明さって、なんなんでしょうか?
まるで、お笑い芸人の安手のおバカ芸に、スタジオ見学が拍手しているような、明るさです。

中山元国交省大臣や、この田母神前空幕長や、「Yahooの58%が田母神前空幕長を支持している」というネトウヨ(ネット社会に跋扈する右翼)たちのあがきは、そうした解離を、論理の飛躍で強引に統一しようとする動きに思えます。
もともとナショナリズムというオカルトは、そうした機能があるのでしょう。

しかし田母神発言は、彼が思っているほど、世論の支持はないと思います。

しかも、なんとか就任1か月は、気配を殺してきた麻生首相も、「立ち枯れ3代目」の気配が濃厚になってきてます。

それにしても、次の次の次の世代までを考えた施策を、政治家たちが考えているとは、毛頭思えません。

思想とか、
イデオロギーとかいいますが、生育暦や経験や、時代や環境や状況によって、思想は変わるし、また育つと、ワタシは考えてます。

歴史的事実でさえ、「歴史認識」に、いろいろあるように、捉え方が違ったり、無視されたりします。
前から感じていたのですが、最近、劣悪な生育暦が、ネトウヨの背景にありそうだと思える事例に遭遇しました。

そうした体験から、Yahooやmixiや2ちゃんねるにひろがるネットウヨの短絡思想は、ワタシには、コンビニの前でしゃがむ中学生に似た、「未来型不幸の一種」に見えます。

それを田母神前空幕長は、自分の妄想の擁護に、ネトウヨを都合良く利用しているにすぎません。

一方、
高齢化した後援会組織の、高齢者票を背景にした2世3世議員には、右翼的思想がひろがっていて、今回の田母神発言擁護の自民党議員たちは、「このままでは、今度の選挙は闘えない」とまでいっているそうです。

小選挙区制では、政党のイデオロギー色が先鋭化しがちです。
ただ、高齢者や農政や道路建設業界などにとって、従来型のバラマキ政策の恩恵が、多く期待できない時代になると、古いイデオロギーだけでは、右翼議員は当選がむずかしくなるはずです。
ワタシは政治学者でも評論家でもないので、良く見えませんが、仮に次回の選挙で、自民党が政権を維持しても、いずれ極右と中道に、分裂するでしょう。
そのあせりが、今回の非現実な田母神発言の背景には、あるように思います。

戦前の日本の中国進出も、当時の軍部と政治家と世論が、世界の流れから孤立したことが原因です。
再び日本が、絶海の孤島として「ガラパゴス化」するかどうかは、「戦後の教育」の成果が、試されることになるでしょう。

南朝の正統論とか、琉球王国独立運動とか、四国独立運動とか、奥州列藩同盟とか、いろいろな妄執の地価水脈はありますけどね。

今回の田母神発言の「反・自虐史観」の根っこには、何があるんでしょうか?
戦後の冷戦構造の中で、アメリカ帝国のアジア政策の一環に組み込まれた現実への、鬱憤なんでしょうか。

アメリカの太平洋艦隊に満載された核兵器を、各地の港に入港させながら、戦後の日本政府は、「非核三原則」などと称して、国民に幻想と幻影を持たせてきました。
しかし「非核三原則」のうちの「持ち込ませず」には、外務省の元高官は、「現実的ではないが、『米軍が持ち込んでいる』とは、言えない」と、証言しています。
米軍退役軍人の、「持ち込み」証言にいたっては、枚挙にいとまがありません。

そうした目の前のリアルにさえ幻想をいだかせてきた歪みが、「勝ち組・A層」の「日本の共同体幻想」論を、被現実的なものに育てたのでしょうか?

経済成長と総中流社会を維持してきた「55年体制の平和」主義が生み育てた妄執の、いよいよ最後のあがきですかね。

それにしても田母神発言は、政治思想としては、日米安全保障条約以前の思想で、まったく進化がないです。
その点、ヨーロッパの方が、変化が早いように聞いてますけど、詳しくないんで、コメントできません(恥)
自分の無知をタテに取るつもりはありませんが、それほど日本大衆の政治的知識には、国際感覚が欠けていることは確かです。

老人は、
自分の失敗経験が、若者の役に立たないならおとなしくしているべきなんです。
しかし、失敗しないとわからないことも、たくさんあります。
だから、歴史は繰り返しているように、見えることがあるんでしょうね。

まあ、それでも間違えたら、修正すればよいのですから、神経質になることもないですね。

振り返ると、1978年、当時の統合幕僚会議議長の栗栖弘臣は、「有事法がないと、侵略された場合、自衛隊は超法規的に活動せざるをえない」という趣旨の「超法規発言」で、文民統制の観点から不適切とされて、解任されてます。

その後、福田赳夫首相が閣議で有事立法・有事法制の研究促進と、民間防衛体制の検討を防衛庁に指示。
国防論議のタブーが破られました。
しかしこの栗栖の発言から25年後になって、やっと2003年6月、有事法制の第一段階といえる武力攻撃事態対処関連三法が成立、有事法制の基本法である武力攻撃事態対処法が施行されてます。
それほど、日本の国防論は、アメリカの核戦略の下で、特殊な反戦思想の展開をしてきたということがいえるでしょう。
ここ数年、自衛隊への文民統制の整合性を調えるために、背広組と制服組がきそいあっていたとも聞いてます。
そして、ここへきて、背広組代表の守屋前次官の汚職、そして制服組代表の田母神発言と、その内部統制のホコロビが露呈されたわけです。

しかもこの栗栖の思想の特徴は、例えば2000年『日本国防軍を創設せよ』(小学館文庫)では、自衛隊が守るものは「国の独立と平和」で、彼が守る「国」とは、「天皇制を中心とした我が国固有の国柄を持つ家族意識、国民意識」であるとしています。
見事に、戦前の「国体」論です。

一方、今回の田母神発言は、冷静な歴史観を「自虐史観」とする「皇国史観」からの発言です。
ここだけから見ても、自衛隊幹部には、組織論としての不整合だけでなく、戦前からの「神国日本」の思想が、考古学資料室に巣食う「生きた化石」のように、特化された形で受け継がれています。

しかも
この思想系には、問題が2つあります。

第1は、この「神国論」が、権威主義的組織論だということです。
つまり国民が、天皇中心の組織の命令系の下におかれ、組織内のそれぞれの階層の下位への指揮・命令権が、「神である天皇」の権威を背景としていることです。
「上官の命令は、神である天皇も命令なので、絶対に服従せよ」という理屈です。
実際、戦前も戦後の高度成長下の企業でも、こうした権威主義的組織論は、組織内幹部のパワハラやセクハラの温床になってきました。

しかもこうした組織内での「幹部の実権」は、戦前の「統帥権の独立」を称して逸脱していった軍部の暴走に代表されるように、「一種の特権意識と冒険主義の無責任体制」を培養します。
今回の田母神発言にも、現行憲法下での官僚の立場を逸脱した、かつての「統帥権の独立」に似た「特権」意識が、「村山談話は言論の自由への統制だ」という奇妙な理屈で、不満として吹き出しているわけです。

つまり「神国」論というのは、幹部の権威主義の源泉だから、彼らの支配欲ために、組織幹部は、それを国民や部下に厳守・教育させたがるのです。
機能的な組織論としての「権威」(例えば、飛行機の乗客が、専門家としての機長の指示にしたがう」という場合)とは違って、その権威を拡大解釈して、教条化して、私物化するのが、「権威主義」です。

守屋前次官の、地位権威の私物化による汚職も、こうした体質環境のなかで、起きた事態ともいえます。
田母神前空幕長は、私企業の懸賞論文に、「自分が指示したら、1000からの応募があるはず」と、国会で自分の権威をヒケラカして見せてます。

大分の組織的教員汚職にも見られる、こうした地位権威の私物化は、戦前から引きずる日本の、権威主義社会のひとつの病理ともいえます。

日本の官僚制が、いよいよ制度疲労と思想的貧困さだけでなく、自浄能力すら失っていることが、いろいろな場面であらわれているといえるでしょう。

第2の問題は、
こうした思想が、自衛隊幹部だけでなく、高齢化した支持者団体を背景とした政治家にも、広がっていることです。

これも奥の深い社会病理なのですが、単純にまとめれば、悲惨な戦争を経験した高齢者たちの中では、人生の終末にむけて、自分たちの悲惨な被虐体験を、「合理化・正当化」する心理が働いて、「侵略戦争と呼ばれるのは、濡れ衣だ」という理屈になっています。
その代表が、「靖国史観」です。

しかしこれは、肉親に虐待された子どものなかで、肉親への愛憎が葛藤し、結果として、肉親をかばい、告発することを躊躇する「虐待順応症候群」に似た現象ともいえます。
彼らが語る「悲惨体験」の証言が、その凄惨さが強調される一方で、いろいろ矛盾したり、変わったり、自責の念にはまって沈黙したり、さらには遅発性の心的外傷後ストレス障害(PTSDすら見かけることも、ワタシの想像を裏付けます。
一方、Yahooやmixiや2ちゃんねるに出没する若い「ネトウヨ」にも、時代が変わっても、そうした生育暦を背景とする心理的な機制からの親和性を、ワタシは想像しています。
ネトウヨたちの、隠された憎悪を思わせる、激しやすい易怒性の高さや、短絡思考に結びついた行動化も、その想像を裏づけます。

で、何が一番問題なのかというと、
こうした権威主義や「合理化・正統化」は、結局、個々の「安心、自信、自由」といった精神の権利を、長きにわたって阻害するからなのです。
その弊害と結末が、新聞の三面記事を飾っていることは、わざわざ言うまでもないでしょう。

明治維新直後から、後発の国民資本主義国家として、西欧の帝国主義の真似をしたかった心情は想像できますが、現在、「海外領土」を失って60年以上たった今でも、いまだに「侵略」を肯定する思想がはびこるということは、植民地経営を「半端にしか体験」しなかった日本が、「植民地」というのが、「搾取される側よりも、搾取する側の心を蝕む」ことに気づけない、悲劇なのでしょう。

人種差別という国内植民地を、長くかかえてきたアメリカでさえ、オバマ氏を大統領に選びました。

田母神発言を、自民党の「55年体制のあがき」の一部とワタシが考える理由は、森元首相以下、文教族に代表される「冷戦イデオロギー」の核になってきた「国体」論が、「チェンジ」の流れに、どう生き延びるかの模索と、受け止めているからです。

前にも書きましたが、子どもへの体罰容認論が、ネトウヨたちの間では、高比率で支持されていることと、今回の田母神発言へのネトウヨの支持は、まったく無関係ではないと、考えています。

11月18日から
塩竃神社の東参道途中の、旧・亀井邸で、親父のアトリエを再現して、描きかけで亡くなった大作2枚や小品1枚を、代表的な静物画材とともに、ご披露します。
もちろん小品ながら、塩竃市所蔵や、個人像や拙宅所蔵の絵も、展示します。

それ以外に、大作30枚近くが、市内各所にちりばめられていますので、東北の晩秋の港町の散策コースは、一段と艶やかなものになるはずです♪

多くの方々の熱意には、さぞかし冥府の親父も、喜んでいるでしょう。
厚く感謝する次第です。

ところで実は、親父は明治生まれで、戦後の混乱を、権威主義で克服してきた、代表的な推進者の一人でした。

それが今、彼の芸術の、地域浸透力のテコになっていることを、ワタクシはハッキリ意識しています。
しかし一方、芸術家としての、彼なりの自由で独自の価値観の展開はあるわけで、息子としてのワタシは、彼の権威主義をひとつの方便として使いながら、その実際の展開には、彼の中の「芸術家としての権威主義への挑戦」に焦点をあわせています。

例えば、親父の死後、ワタシが手がけてきたどの親父の絵の展示会でも、権威主義な弟子たちの介入は一切排除して、親父の芸術的展開を強調することを、心がけてきました。
これは、組織的な観客動員の上では、あきらかにハンディキャップになるのですが、ワタシとしては譲れない一線でしたし、死後8年目に入って、それなりの実績をつみあげてきたと、自負しています。

奇しくも初日の18日は、
この街で、ワタシが監査をつとめる、高齢者施設にコンプライエンス・ルールの普及をはかる、NPO宮城オンブズネット「エール」 の、講演会があります。

最晩年の親父とお袋に、ハゲタカのように群がって、その死期を早めた権威主義たちには、この偶然は、親父とお袋の怨念に見えるでしょうか(笑)?

願わくば、親父・お袋の霊が、地上に凶事をもたらす「荒らぶる神」ではなく、この地に幸いをもたらす、「産土(うぶすな)の神」とならんことを。

むかしから、日本人は、「若宮(=王子=皇太子)」の虐待適応症候群を思いやって、その憤怒の霊力に、自己の恨みを仮託して、お百度参りなどを通じて怨念を晴らすべく、生活の折々のなかで「若宮信仰」を守ってきました。
京都の貴船神社などは、その代表です。

実際、今だに権威主義者の弟子たちの弊害を、耳元にささやいてくる方が、ないわけではないですが、ワタシは、「若宮」として、わが身を怨念ゲームにささげるつもりは、毛頭ありません(苦笑)


ひょっとしててですが、靖国史観には、この「個人的な怨みや、抑圧された怒りとかを、晴らさん人生ゲーム」の「若宮信仰」に、通底する心情があるのでしょうかね?



  1. 2008/11/16(日) 00:00:00|
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近況です

森田ゆり氏の
『子どもへの性的虐待』岩波新書1155を、読んでます。 

新書版ながら、さすがに第一人者だけあって、症例が豊富で、体罰禁止もふくめて、日本の法的不備についても、説得力があります。

特に、アメリカでの被虐待児へのセラピスト経験もあるだけに、論点も網羅的で、有益です。

人権後進国の日本では、こうした本が、新書で出版された意義は大きいです。

体罰容認を吹聴しているチンピラ政治家が、大衆的人気を誇る日本の現状と、どう闘うか、いろいろ考えないと、改めて思います。

かく申すワタシも「サバイバー(生存者=性的暴力を生き延びた被害者)の一人です。
その自覚は、昔からあったのですが、この本を読んで、改めてワタシの一生を支配する、加害者の強烈な仕掛けに、気づきました。
ここには、書けないくらい、その邪悪さは、すさまじいです。
加害者たちは、自分たちの保身のためには、世代を超えてまでも、なんでも「しでかす」ということです。

63歳にして、いまだに他者への信頼感の喪失、無力感、自責感、自己嫌悪、解離や性的アイデンティーの混乱、そしてウツ症状、、、。
さらには、性的奇癖や、ヴァンパイア・シンドローム再発の不安。

まったくこのPTSD(心的外傷ストレス障害)は、一生を左右する時限爆弾です。
被害者の多くが、サバイバルできないまま、自死で生涯を終えることは、よくわかります。

で、こうした子どものころの、被人権侵害に気づきがない方は、無自覚に他人の人権を侵害できるのでしょうね。

矛盾していますが、「サバイバー」を、「スライパー(達成者)」と呼ぶヒトもいます。
「被害者」からの心身の回復に、長年取りくんできたという意味だそうですが、「自分の体験の意味を考え続けてきた」という意味では、逃げられない体験でありながら、その苦痛は、人間観察に奥行きを与えていることは認めざるをえません(苦笑)

突然、唐突に話が飛びますが、
前から漠然と思っていたのですが、今度のアメリカ発金融恐慌といい、戦争といい、原因は、ヒトの心の中に生まれ、育ちます。

その種は、「子どもの虐待」にあると思ってました。

田母神俊雄前航空幕僚長の思いつめた表情や、イラク戦争を推進したネオコン政治家たちや、リーマンのリチャード・S・ファルド元CEOや、元ゴールドマン・サックス会長で7千億$の救済案を出したハンク・ポールソン財務長官とかを見ていると、何がこのヒトたちを突き上げているのだろうかと、その内面をのぞきたくなります。

100年以上前の1900年、スウェーデンのフェミニスト教育社会思想化エレン・ケイは『児童の世紀』で、「20世紀こそ子どもが尊重される世紀にしよう」と、世界に呼びかけてます。
あれから100年。
先進国日本でも、まだまだお寒い状況です。

子どもの虐待は、増えているのではなくて、子どもに目を向ける大人が増えたんです。
まず、それが第一歩です。
そしてあのアメリカでさえ、この10年で、20年前の50%、虐待を減らしたそうですから、日本だって、システムさえ調えれば、出来ないことはないのですがね。

子どもには、選挙権がないから、政治家は関心をもちません。

で、文教族みたいな、ロクデナシがはびこることになります。
福祉予算の70%は、選挙権がある高齢者むけで、選挙権がない子どもの福祉予算は、4%です。
「母に、強く」なってもらわないと。

21世紀が、妄想に支配され無いためには、自分の寿命も考えると、ノンビリばかりしてらんない感じですけど、はてさて、どこから手をつけるか。

楽天の
岩隈君が、沢田賞だそうです。
たまたま彼のマンションは、いきつけの喫茶店の近所なので、かわいい奥さんとは、顔見知りです。
プロ野球選手の奥さんにしては、地味な感じの、お利口そうなヒトです。

彼が、肩を落してコーヒー飲んでいた頃の横顔を知っている連中は、案外に静かにニュースを受け止めてます(微笑)

ユネスコ・スクール
(ASPネット)というのがあります。
1953年、ユネスコ憲章に示されたユネスコの理想を実現し、また、平和や国際的な連携を学校での実践を通じて促進することを目的に設けられたそうです。

○研究テーマは、
次の4分野を基本テーマとしています。

(1)地球規模の問題に対する国連システムの理解
 貧困、飢餓、失業、識字、文化理解、性差、人口問題等の世界的な問題からテーマを選び、自分の地域や国、国際的などの側面から、調査を行う。

(2)人権、民主主義の理解と促進
 「世界人権宣言」「児童の権利に関する条約」等を出発点として、学生の自らの経験のなかから、他者の権利だけでなく義務や責任(人種差別、偏見、民主主義、相互の尊重、市民の責任、寛容と非暴力紛争等、人権に関連する問題)について意識を広げさせる。

(3)異文化理解
 他国の学生または両親、自国民、移民集団、大使館、他国の文化センター等と連携を取りながら、異なる習慣、伝統、価値観に対する理解を促進する。

(4)環境教育
 自分たちが住む地域が直面している環境問題(汚染、エネルギー、森林保護、海洋および大気に関する研究、土壌侵食、天然資源保護、砂漠化、温室効果、持続可能な開発など)を検討し解決の手段を考えるとともに、科学が人類の将来に果たす役割を考える。

○参加校数は、
 1953年に15カ国33校で始まり、現在176カ国約7,900校の、就学前教育機関や教員養成学校を含めた、さまざまな学校が参加しています
 日本では、2008年7月現在、25校の小・中・高等学校及び教員養成学校が参加しています。

というのです。

なぜこれが
関心をひいたかというと。

仙台の宮城教育大が、今年8月に、奈良教育大についで全国2番目のユネスコ・スクールになったというのです。

意図は、大変良いことと思います。
申請さえすれば、世界文化遺産と違って、きっと審査はゆるいのでしょう。

「建学の精神」代わりに、なにか能書きが欲しかったのかもしれません。

しかし、エンコと学閥で人事が決まる教育現場の実態と、教員養成大学のユネスコ・スクール参加の理想とは、どうつながるのか? と、少し疑問に思ったのです。

なにせ、前に書いた、PTAの講演会で、「教育委員会は、人事権をもっているんだあ!」ってイバッていた男が、副学長ですから(苦笑)

理想が悪いとは思わないし、それをきっかけに田舎の教育現場が変わってくれれば、それにこしたことはありません。

まさか、民間機関の「ユネスコ協会」のように、募金で豪華なビルを建てるような、詐欺まがいなことを、大学がしなければよいですがね。

江戸の仲間との
友禅の展示会は、終了しました。
古い古い友人たちから、「着物はじめてなんですぅ」という、可愛いお客さままで、千客万来で、忙しかったです。
ヒトとヒトとの付き合いは、浅くても、長く長くつづいたり、濃厚でも短かったり、いろいろです。
もうこの歳になると、あとで後悔しないように、一期一会で、一瞬一瞬を大事にしておかないと、思ってます。
つぎにお会いできたら、またよろしくですm(._.*)m
  1. 2008/11/10(月) 00:00:00|
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今週のスクラップ・ブック 11/03

最近、mixiニュースが
つまりません。
麻生首相は、「百年に一度の嵐」とかって、世界恐慌不安をあおってますが、経済問題や政治問題は、mixi記者たちには、ほとんど手が出ない世界のようです。

このけだるい平和は、若い「ゆとり世代」、特有のものなのでしょうか(苦笑)?

格差が広がりすぎて、「そんなの関係ない!」なんですかね?

前にも
書いたことですが、
>ニッポン遠く、外国人観光客が大幅減…景気減速・円高響く (mixi読売新聞 - 10月27日 02:17)
といいますが、仙台の北20kmの大崎市は、ど田舎だけど、国交省の統計によれば、外人観光客の滞在日数は、京都奈良を抜いて、日本一です。

数日前も、新幹線は、彼女たちのツアーの活気で埋まってました。
接待側は、お愛想もいえない田舎者なのに、スバラシイ成果だと、感心してます。

国会議員や国の役人が、机上で考える、世界中どこ行っても同じような「観光施策」とは、あきらかに違うものを感じます。

すくなくとも大崎市には、小綺麗なリゾート施設も華やかな文化遺産も、どこにもみあたりません。
グルーバルの時代だからこそ、心のこもった超ローカル情報が、活きてくるんでしょうね。

先週も書きましたが
小4のイジメラレのケアで、忙しくしてます。

東京の有名私立小学校なんですから、教師たちは優秀なんでしょうけど、子どものイジメ問題での、加害者・被害者へのケアは、犯罪的に無神経です。

普通に会話ができないくらいチックが出て、嘔吐まで出る症状なら、ワタシは「レイプなみの心的傷害」を考えて対応するのですが、嘔吐に驚いて駆け込んだ小児科医も、加害者の保護者も、担任も、被害者の保護者も、直接の障害が排除できれば、あとのケアは必要ないと考えているようです。
被害者の保護者は、加害者の「退学」を主張してますが、もともと博愛精神の宗教的環境にあこがれて、この学校を選んだはず。

「イジメ」が見えず、加害少年へにも適切な対応をしてこなかった担任も、結局、学校側に、加害・被害に遭遇した子どものケアを含む、「危機管理」のシステムができていなかったことが原因です。
ワタシなら、診断書かかせて、学校の責任を追及しちゃいますけどね(苦笑)

「お品の良い勝ち組家族」も、「坊っちゃん嬢ちゃんを集めた私立学校」も、「成長過程にある子どもの人権」について、きちんと考えてないから、こうした事態には、双方とも感情的な反応しか出てこないのですね。

子どもの「安心、自信、自由」の権利を守れない「学校」というのは、関わる大人の意識が低いからです。
キリスト教精神教育の有名私立小学校でさえ、こうなのですから、巷の公立学校では、押して知るべし なのでしょうね。

いかにきれいな
法律を準備しても、「人権」というのは、草の根で守っていく思想が広がらない限り、根づきません。

ところで、今の日本は、「体罰容認」なんですかね?
<橋下知事>「手が出ても仕方がない」体罰容認?発言(mixi毎日新聞 - 10月27日 00:41)
だそうです。
彼は、法律家ですよね?
弁護士の資格は、あるのかしら?

確か、東国原知事も、容認派でしたね。

TVタレント上がりの政治家の知的水準というのは、この程度なんですね。

田母神俊雄航空幕僚長のトントチンカン発言と同じで、公務員としては失格なのですが、それを容認する「世論」とかがあるわけです。

こうした世論を煽ることで商売するマスコミというのは、強欲で自滅する資本家や金融業者と同じで、気の毒な商売です。

国連の
B規約(市民的および政治的権利)人権委員会は、10月30日、日本政府に対し死刑制度の廃止を、「世論調査と関係なく、前向きに検討すべきだ」と勧告する審査報告を発表しています。
><国連人権委>死刑廃止へ 日本政府に「最終見解」(mixi毎日新聞 - 10月31日 10:51)

先にも書いたように、日本政府は、「死刑制度存続を世論がもとめているから」と弁解しましたが、報告書は、「廃止が望ましいことを一般に知らしめるべきだ」と、廃止論議を高める「責任が、政府にある」との見解を表明しています。

国際世論とは、関係なく、人権問題に、悠長なことを言っていられるのは、「死刑継続論」者と同じで、「問題が切実でなく、他人事」だからでしょうね。

人権問題が嫌いな方でも、子どもの虐待や生犯罪被害への対応では、日本が欧米どころか、すでに韓国、台湾にも遅れをとっていることを知れば、悲しさ以上に、怒りを覚えるのではないかしら?


ワタシはシツコイので、老いた両親を追い詰めて死期を早めた、世間では著名な弟子どもは、多分、生涯許しませんけど(苦笑)
だからといって、
「まずは、ともかく面会謝絶。せめて、この先、注意しながら、生きなさいね!」
とは思うけど、「死刑にしろ!」とは思いません。

単純な話、「罪は憎むけど、ヒトを罰することができる」ほど、ワタシは、昔も今も、これからも、そんなに偉くないですから。

  1. 2008/11/03(月) 00:10:00|
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元・学園長

Author: 元・学園長


ここを執筆する 元・学園長 ですが、還暦はとうにすぎているのに、最近、江戸 手描き友禅 の修行もはじめました。

ここの絵は、当時小学4年生の男の子が描いてくれた絵です。
下手な写真よりも、はるかに元・学園長の特徴をつかんだ、観察力と表現力なので、今でも大切にしています。

はじめての方は、引越しソバ代わりのおみやげもありますので、下記をご覧ください。
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