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あかつき 事件簿

学園長の 身辺報告や雑感を 週刊誌風にまとめたものです

「心のノート」の結末 (1)

“22日広島高裁は”
9年前の光市母子殺害事件の犯人の元少年(27)に、死刑判決をくだしました。
この青年は、父親の家庭内暴力のなかで育ち、母親は彼が中3のとき自死しているとか。
一方、岡山駅突き落とし事件の犯人の少年(18)は、岡山地検の簡易診断で、広範性発達傷害のアスペルガー症候群と診断されたとか。

被害者も悲惨ですが、加害者も悲惨。ともに、心痛む事件です。

一般論として、殺人もふくめて凶悪な犯罪をおこした青少年の98%は、その養育暦に被虐待やネグレットなどの劣悪な環境が報告されています。

ですから、ワタシのような素人は、こうした事件では、「責任能力の判断」が焦点になるのかと思うのですが、どうもなかなかそうした方向に、世論はむかないようです。

マスコミの取り上げ方に偏りがあるのか、社会全体の少年犯罪への厳罰化への傾斜は、それだけでない、なにかが、背景にあるのでしょうか?

“ワタシは専門家でもなく”
多少、ヒトより子どもに多く接してきた経験があるだけですから、こうした犯人像についても、これから見る「最近の若者像」も、素人理解にすぎません。

ただ、いろいろな子どもたちとつきあいながら、長い間、子どもの成長を見る、なにか手掛かりはないものだろうかと、考えつづけてきました。
いろいろな都合で現場を離れて、今ではむかしの生徒とメール交換する程度ながら、自分も含めて、今も続く彼らの生きづらさに触れながら、TVや新聞やネットでのニュースを眺める目は、ついそうした記事に目がいきます。

そしてここでの繰り言も、誇大妄想の教祖的な「世界への警告」的なHPに見えるかなと苦笑しながら、書いてす。
ただむかしの生徒たちが、「ジジイは、クドイ・ウザイ」といって読まなくとも、せめて「一緒に生きている」との思いが伝われば、それなりの意味はあると思ってます。

“そんななかで”
グローバル化した環境での最近の子どもの状況をさぐるために、ひとつの例として、文部科学省が2002年から配布した心のノート」に代表される政府の教育行政とその背景について、おさらいしておきます。

まずこの潮流の根底には、新自由主義経済と新保守主義があるので、まずはそこから見ておきます。
当面、退屈な方は、飛ばしてください、
説明の出展は、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』です。
新自由主義
新保守主義
 
さて、新自由主義経済というのは、
「均質で原始的な経済人のおのおのが合理的判断と完全な情報に基づき、貨幣を媒介として市場で利己的に競争しあうことにより、「見えざる手」による均衡が訪れる」
という考え方なんだそうです。

で、
「すべての個人が整えられた舞台の上で競争しうる原理的な市場主体となるよう、現実の人間を、利己的かつ合理的に行動して自己利益の極大化を図り、自己責任を受け入れる原子的個人に作りかえられようとする。これにより各人は、新古典派経済学が前提する人間類型を受容することが求められる」
ということになります。

しかもこの、
「見えざる手の作用により均衡が訪れるという新古典派経済学の命題は、構造改革の政策を実施し各人がそこで原理的な市場主体として合理的に行動するならば、経済が成長し、すべての経済主体に係る利潤、賃金などの経済変数はいずれ収斂し、すべての人々が富裕の平等化を享受できるという予言も伴っている」
とのこと。

“かくして先進諸国の”
「新自由主義」政府は、多少のニュアンスはちがっても、

(1)基底に新古典派経済学を置き、
(2)その抽象的諸命題・前提を無謬の規範ととらえて現実に実現しようとする市場原理主義、の2つに裏付けられて、
(3)ネオリベラリズムの、経済・社会政策、個人の人間類型の改造、富裕と平等化という理想社会への予言
を推進する、「三重の階層からなる総体」として機能し
「構造改革(structural adjustment)の政策を実行し、それにより整えられた舞台の上で、市場原理主義の自由競争と、個人の人間類型変革の試みを伴っている」
というのです。

“こうした潮流の背景には”
1970年代までの、ケインズ学派の「大きな政府」「福祉国家」と呼ばれるレジームが、 1970年代に入って石油危機に陥ると政府の財政危機を招いたことがあるようです。

で、こうした状況への処方箋として編み出されたのが、 1980年代から起きる、英国のサッチャー政権によるサッチャリズム、米国のレーガン政権によるレーガノミクスと呼ばれる経済政策です。
また同時期、日本においても中曽根康弘政権によって電話、鉄道などの民営化が始まってます。

さらに、ビル・クリントン政権の経済政策、新自由主義は、IMFや世界銀行を通じて世界中に広められます。
で、その政策パッケージを各国に受け入れさせることにより、アングロサクソン諸国の資本はより大きな資本移動の自由を手に入れることになります(これが「グローバリズム」)。

電話、鉄道などを民営化した日本の中曽根康弘政権に始まった、小泉純一郎政権・安倍晋三政権の政策も、この新自由主義の典型ということになります。

“こうしたなか”
国家資本主義ないし開発主義国家というべき中国やロシアを別として、この新自由主義経済の潮流は、世界を巻き込みます。
しかし、好戦的な新保守主義のなかでも、さらに急進化したアメリカのネオコン主導のイラク戦争への批判もひろがり、 債務国の再建策として新自由主義的な経済政策を推し進めていたIMFも、 2005年には理論的にも実践的にもこの経済政策の推進は誤りだったと、認めている状態です。

また、新自由主義は貧富の差を拡大させるので、そこで1人1票の民主的な選挙を行えば、富裕層を優遇する新自由主義政策を推進する政府は打倒されるという理屈で、中南米では急速にこの「新自由主義のパラドクス」が進行し、アメリカ離れ・中国接近が起きてます。

日本でも、格差の拡大に追い詰められた「地方の反乱」に端を発した「ねじれ国会」は、そうした「反動の兆候か?」ということになるのでしょう。

“やっと身近なところに”
目をむけたいのですが、それでも、もう少し抽象的な話が続きます。

まずこの新自由主義経済の理想を実現するためには、「利己的かつ合理的に行動して自己利益の極大化を図り、自己責任を受け入れる原子的個人」像に、個人は変容しなくてはいけません。

歴史的に、いろいろな試行があったようですが、最近の例としては、小泉元首相時代に、駄洒落とホラ話が受けて、17年ぶりに民間から起用され、文化庁長官を4年3期勤めたという、河合隼雄というユング派心理学者が座長としてまとめた、文部科学省の「心のノート」があります。

河合の先生であるユング自身が、ナチと接近したり、集団無意識とかいう科学的とはいえない言説を弄したヒトでしたけど、「心のノート」への精神医や心理学者の批判は、「心の栄養」とか「心の火傷」といった表現に見られる「心を物あつかい」する、河合のカウンセリング理論や、彼が文部官僚ともに主導したスクールカウンセリング派遣事業の不透明なやり方と、「心の専門家」と称するスクールカウンセラーへの批判が、中核になっています。

もちろん発足当時から、この「心のノート」の本文は、焦点を微妙にズラしていくレトリックのなかで、口当たりの良い言葉を繰り返すことで、「自分探しから、家族愛、郷土愛、そして愛国心に誘導していく」表現に批判が集中し、それぞれの立場からも、「心まで、支配されたくない」というものから、「エセ心理主義で、国民に自己責任を求めるもの」「貧富を拡大するグローバル化への国民の愚民化政策」、といったものまで、さまざまでした。

“ところでワタシは”
河合とは、同じ「座長」でも、レベルもラベルも違うのですが、たまたまこの一時代前の中曽根内閣時代に、当時の電電公社民営化によるインターネット普及策の一環である、ネットを利用した「教育事業化」の実験プロジェクトに参加し、「子どもには、洗練された教材を与えれば良い」とする、当時の「政策の事業化」に勢いづいた財界人たちと3年ほどわたりあい、その「野望の挫折」を見届けた経緯があります(笑)

実際、当時のPC通信能力では、プリント1枚送るにも数十分かかった時代で、到底、実用性はなかったのですが、一方、当時の財界人たちの孫世代には、すでに不登校現象がチラホラ現れていて、有力財界人たちを前にした「教育とは、ひとりひとりの子どもと向き合うことで、それは今のネット技術ではむずかしい」というワタシの「挫折の弁解」には、彼らのなかにも、ワタシへの批判どころか、「沈黙の共感と理解」すらあったことを覚えています。

ちなみに、その実験チームの作業のなかでうまれた成果のひとつが、行動療法の手法を応用した、ネットでできる子どもの学習行動の管理支援システムである学習習慣診断テスト」でした。

“お役人が考える”
文部科学省のさまざまな施策には、毎度、必ずいろいろな批判がおきるのですが、実際に新しい指針や制度が導入されるごとに、親の不安はふくらんで、教育産業が肥大化する現象が、くりかえされてきました。
今回の「反ゆとり教育」指針でも、早速、現場では、「大量に反復学習させれば良い」とする、「学校の塾化」現象が進んでいるようです。

で、「心のノート」へのいろいろな立場からの批判のなかで、一番ワタシが目をむけたのは、精神科の医師から出た、「道徳の心理主義化で、子どもが分割させられる」という言葉でした。

例として挙げられたのは、「評価されるなら、ボランティア活動はするが、では何をしたいときかれると、『別に』と返事する」、子どもの現象です。
これが、表向き「大人にあわせる」だけで、「内心は別を向いてしまう子どもの心」を作ってしまう、というのです。

もっと注目したのは、「私自身は、青年期をこのノートのようなことをやろうとして、自分を失ってしまったものです」と切り出した、5年間不登校児とつきあっているという母親の言葉でした。


“ワタシ流の”
解釈でいえば、「心のノート」で掲げられた、口当たりの良い目標を、空念仏として聞き流す適応力のある子どもは別として、それを真に受けて努める子どもは、「表向きの自分と本当の自分」に分割されるか、押し潰される危険がある ということでしょう。

本来、道徳というものは、子どもの周囲との「泣いたり、泣かされたり」というやりとりのなかで、自分本位で相手を見るのではなく、「相手の都合や立場」みたいなものが、少しずつ見えてくることで育つ社会性で、日々の生活のなかでジックリと身体に涵養される「相互尊重のお作法」です。

ですから、子どもが国旗に敬礼できたり、近所のオジサン・オバサンに大声でアイサツができたからといって、郷土愛や愛国心や伝統文化を愛する心や、国際貢献や国際平和への心からの献身が生まれる保障は、どこにもないのです。

実際、大人だって、戦争中は「愛国心」や「アジアはひとつ」のスローガンのもと、周辺隣国や国内ですら、多くの残酷な行為をしてきたんですから。

だから「愛国心」などで子どもの心を縛りたいとかってムキになられると、被虐待者が、虐待者への憎悪とともに、内心で虐待者を英雄視・理想化して、大人になって自分も、管理できない子どもに憎悪をむけて、虐待を繰り返す「虐待の世代間連鎖」と、同じ道筋が見えてきますね。

良い大人が、恥ずかしくもなく「アイサツが大事だ!」「愛国心だあ!」と叫ぶ顔をみていると、その硬く硬直した表情の裏に、幼い怯えが微妙に揺れるのが見えて、過去の積み残した怨念であることが、多いようです。

健全な子どもですと、そうした大人の表情を、ちゃんと見ぬく眼をもっているんですがね(笑)

“やっと、これから”
若者たちの動静に入りたいのですが、長くなるので、来週にまわします(笑)
  1. 2008/04/28(月) 02:39:51|
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雑感

“名古屋高裁が”
17日、イラクにおける「航空自衛隊の空輸活動は憲法9条に違反する。多国籍軍の武装兵員を戦闘地域のバクダッドに空輸するものについては武力行使と一体化した行動」として、空自のイラクでの活動を、違憲とする判断をしたそうです。

「自衛隊がいるところが非戦闘地域だ」との小泉元首相の強弁で出かけて以来、その具体的な中身は明かされないまま、すでに4年間の実績のある空輸活動に「違憲」の判断が出たことは、判決の表現には別な議論があるとしても、国民心情としては当然かもしれません。

2001年の9・11同時テロ以来、「ショー・ザ・フラッグ=存在を示せ」から始まって、「ブーツ・オン・ザ・グラウンド=地上部隊派遣を」「日の丸・イン・ザ・スカイ=空にはためく日の丸」といった、日米合作らしいワンフレーズポリティックスの目くらましで、アメリカの世界戦略(軍事力依存の市場民主主義国家共同体拡大戦略)への協力政策を、「国際貢献」と称して推し進めてきた日本政府ですが、それが「国策」なら「国策」として、これだけの時間が経過するなかで、それなりの説明を試みる機会は、いくらでもあったのではないかと思います。

EC-NATOというクッションを持たない日米環境では、イラク戦争でのドイツみたいに、諜報活動で汗をかくような、目立たない形でのアメリカ協力の、知恵も力も出せないらしい日本政府は、守屋前防衛庁事務次官のような、未熟人格の「軍事官僚」をあぶり出しただけでした。
これで、自衛隊を随時派遣するための恒久法を成立させるとなると、「サブプライム損失のモトを取り返すため」とか「穀物輸入を安定化するため」とかって、別な説明が飛び出してくるのかしら?
それとも、「そんな理屈も、関係ないッ!」と、国民はナメられているんでしょうか?

“去年10月”
東京が、日本全人口の10%に達したそうです。
28年ぶりとのことで、バブル景気がおわって土地の値段が下がったのが、原因だろうとか。

一方、東北は、前年比 -1.16% で、6県すべて減少。
少子高齢化も、急速です。
戦後の国土政策の基本理念だった「国土の均衡ある発展」は、はるか昔に忘れられ、「東京遷都」どころか、財界は「地方は自立せよ」と合唱しています。
そんなかで、動き始めた「地方分権」というのは、うっかりすると「地方の切捨て」になりかねません。

宮城県は、最近、優遇措置による自動車工場の誘致に積極的ですが、世界的な某自動車工場の臨時組み立て工員の、工員同士の会話もなく、脱走・逃亡者が続出する姿を見ると、「新しい国内植民地」形成が始まっているのかと、気がかりです。

1999年4月20日に高校で起きた銃乱射事件の舞台コロビア州コロンバインは、ロッキードのミサイル工場があった城下町だったとか。
ちょっとの配慮と手間で、かなり改善されると思うんだけど、あの自動車工場の臨時組み立て工員の姿は、気がかりです。
子どもの問題も、同じなんですがね。

“偶然、ネット散歩で見つけた話なんですが”
女子中学生が、部屋で携帯電話をつないだまま、会話に使わないで、部屋の中を動き回っているゴソゴソ音を、BFや友人に流し続けている現象があるのだそうです。
某社の「**学割」だと、同社携帯同士なら国内で午前1時~午後9時までの通話は無料とのことで、このサービスを利用しながら、「通話」でない用途にも使っているというのです。

確かに、この自我の確立がまだ不安定な時期、同性の友人とかと、仔犬のようにジャレ合い溶け合う現象がおきる場合があります。
ですからこれも、一過性ならば問題ないでしょうが、ただこれを何時「卒業するのか?」となると、予断は許されません。
しかもこの思春期の心理環境は、この「やさしい関係」が、そのまま気疲れるする「友だち地獄」に、さらには一旦、KY(空気読めない)と告発・断罪されようものなら、いつでも「見えないイジメ」に豹変することが、怖いところです。

配偶者や恋人による家庭内暴力(DN)のチェック項目に、「トイレに行くのまで報告させられる」というのがあるのですが、ネットでたまたま見たある30歳代の女性の日記には、恋人に監視カメラでいつも見られているから「シアワセ・安心」という、記述がありました。
具体的な状況が見えてないので何ともいえないのですが、ほかにも無料ビデオ電話が、いろいろに使われている話もありました。
で、こうしたネットに流れる日記たちは、他の話題での論理構成から見ても、ストーカー男が、女性のフリをして書いた妄想日記かと、はじめ思ったのですが、案外に話はそう単純ではないのかもしれません。

“例えば”
山梨山中で行方不明になった19歳の女の子の事件では、犯人の車からは、「行方不明になっても、責任は問いません」と、複数の女性が書いた大量の誓約書が見つかったとか。
容疑者は、出会い系サイトで覚醒剤を一緒に打つ女性を募っていたようで、警視庁では、組織的犯罪の可能性も考えているようです。
こうなると、新しい麻薬宗教や監視カメラ宗教が、ひそかに地下で広がっている可能性も、ありそうです。

しかもこうした事件が続くと、「事件に巻き込まれるような行動をした女性への批難」に代表される、匿名性に身を隠した二次的な「風評暴力」が、家族を襲います。
(現にいくつかの家族は、警察を盾にして、「マスコミ取材」を遮断しています)
一方こうした連鎖が、2チャンネルなどへの「暴言カキコミ」への過大な怯えを形成して、ネットを利用した新しいタイプの学校でのイジメでは、「風評暴力」は、脆弱な自我を自死に追い込むに足る「暴力装置」として、威力を発揮しています。

いずれにせよ、女子中学生から大人まで、ネットまでも生活圏に組み込みながら、いつ相手がネット暴徒化するかわからない不安を抱えた「気疲れな関係の妄想共同体」のなかで、「自分さがし」を手探りしています。

“過干渉の”
虐待環境で育ったAD(アダルト・チルドレン)と、依存症との相関関係が問題視にされてますが、そうした「自立を阻害された魂」に宿る、過酷に自罰的な恐怖・不安症候群だけでなく、その外側にひろがる、こうした思春期の積み残しを引きづった被虐待指向の「心の闇」は、鳥インフルエンザみたいに不気味です。

毎年3万人の自殺・義務教育段階で13万人に近い不登校・さらに100万人とも言われる引きこもり、といった数字への「不安」を、「心のノート」とかを文部科学省が直接に子どもたちに配って「心の支配」を仕組んだり、警察や教育委員会が「不審者情報」で不安をあおっても、起きてしまった事件を「ゲームのせい」と解説したり、「被害者への批難」を浴びせてては、その不登校児や引きこもり青年の「心の乾き」は、解消できません。
  1. 2008/04/21(月) 19:48:58|
  2. 雑感
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引越しのご挨拶

HPあかつき学園高等部事件簿 から、今度、こちらに引っ越してきました
ここはまだ慣れないので、応答とかに不都合が出るかもしれませんが、よろしくお願いいたします
(本体HP関係は、 事件簿・下記の手土産など、携帯電話では、見れません


本体HP は、フリースクール あかつき学園 の共同作業として、1997年07月07日にスタートしました。
以来、「事件簿」は、当時は在籍生と、その後は各地にひろがった卒園生と、学園長が会話するための、話題提供の場として、だいたい週1回の割合で更新してきました

過去の記録は、いずれこちらに移植するつもりですが、作業がおわるまでは、本体 事件簿 を参照してください

なお、ここで使われる動画やイラストは、当時の生徒のなつかしいラクガキですので、無断盗用はお断りします

またここでときどき使う、古典的な行動科学の用語解説と使い方は、以下にまとめてあります。
引越しソバの代わりの、手土産です。
手軽な道具ですが、使いなれると便利ですので、時間のあるときに、PCでのぞいてみてください

一般意味論ノート
TA(交流分析)ノート

なお、このブログ開設には、むかしの生徒の協力がありました。
とても感謝しています

  1. 2008/04/21(月) 00:11:53|
  2. ご挨拶
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カウンタ

プロフィール

元・学園長

Author: 元・学園長


ここを執筆する 元・学園長 ですが、還暦はとうにすぎているのに、最近、江戸 手描き友禅 の修行もはじめました。

ここの絵は、当時小学4年生の男の子が描いてくれた絵です。
下手な写真よりも、はるかに元・学園長の特徴をつかんだ、観察力と表現力なので、今でも大切にしています。

はじめての方は、引越しソバ代わりのおみやげもありますので、下記をご覧ください。
引越しのご挨拶

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